正月早々、幼馴染の斎藤亙から電話があり、「須藤、栗子スキー場のレインボーコースって、1分で滑れねーべ!?」というので、何事かと思ったら、暇な同級生たちが年末に集まり、レインボーは1分なんて絶対に切れない、いやいや、絶対に1分はかからないというバトルが始まり、ダチョウ倶楽部ばりに、「どーぞどーぞ」と言われた杉原俊広(トシちゃん)が、1分切れるを公言してしまい、それを実証しに行くという。で、須藤も行こうよ!ということで、午後から滑り出す。
どうも、新年会の金を誰が出すのかでそんな話になったらしい。
相変わらずです。
てなワケで、元旦早々、斎藤亙、杉原俊広、ヒラ、功、ゆうきっつあんらのスキー賭博に付き合うことになる。。
自分はゆっくり滑って50秒切るくらいだったけど、トシちゃん、苦労していたね。
何度も転んで、深雪に足とられて外れたスキー板が履けなかったり。
ゆうきっつあんは、初めてのスキーだったのに、ヒラに「大丈夫だ」と、早速リフトに乗せられて行った。
1時間以上経過してレインボーの裏の初心者用迂回コースへ行ったきり帰ってこないので、見に行くと、案の定、スキーを脱いで歩き出したところだった。
もう一度、スキーを履かせて、自分が前でボーゲンの姿勢をとり、ゆうきっつあんは後ろで同じく板をハの字に開いて自分に掴まらせて降りてきたんだけど、ゆうきっつあんは足から始まってそのうち全身がガタガタと震えだし、「ゆうきっつあん大丈夫だから!!」というと、「すどはん怖くて立っていられないよ(泣)」と俺の背中で泣いていた。
力を抜いてただ捕まっているように指示しながら、なんとか降りてきた。
同級生たちはそのまま新年会へ行ったようだけど、支払いをどのようにしたのかは当局は一切関知しないもので聞いてもいない。5回くらい滑って、1分切ったから、ワリカンにしたのか・・・
やっぱり当局は一切関知しない。
楽しいスキーで終始笑いっぱなしでした。
あとは、なみえダンスの波恵先生とドラマーのシンちゃんらと6日に新年会がてら打ち合わせをして過ごしたり、
郡山へ打ち合わせに行ったり・・・
正月早々忙しい。対外的には成人式が終わるまで我が社は冬休みなのだけど、今年は全く休めない。
1月9日には、地元上浜町内会の新年会があり、ここのところ毎年恒例となった上浜太鼓伝承会による太鼓のお披露目があった。
寒いので、祭りの衣装は着ないで、作務衣に雪駄を履いて法被という、手抜きな服装で大太鼓を叩く私。
みんな、本番じゃないから、服装も赤い人の本気を除いてはみんなテキトーだったけど、演奏はもちろんバッチリでした。
武廣兄ちゃんのご挨拶でお披露目を締めて、引き続き町内の方々と飲んで、お開きの後は社務所で伝承会のメンバーで打ち上げをした。
16日に、不動産協会の理事会、顧問議員との懇談会があったので
なんだか、新聞に記事が載ったり・・・
1月10日からは東京へ出張。
宿泊先は東京ヒルトンかな。打ち合わせに土日は無いのでした。
東京から戻った翌日は、ウエルズホームさんの新年会があり、
右から小泉元首相、石原元東京都知事、石破茂大臣が来ていたり、
今は亡き甘利元大臣、安倍総理まで来ていた。
SPは居なかったけれど、澤田社長、すごいです。
翌日は日帰りで秋田へ。
朝から日中は天気良かったけど、
夜帰る途中で天気が急変し、霧で30m前が見えない。
でも、カメラだと映るんだよねー。今時のカメラは性能がいい。
凍ってるし、怖かったよ。
赤いおじさんの上に赤い女性が乗っているように見えますが、絵です。あ、女性の方がね。(そんなの説明しなくたってわかるよね)
お世話になっているアジア航測の皆さんと日本国土開発の皆さんが福島に来てくれて、仕事の後の新年会です。浩哉さんも来てくれた。
みなさん、いつも来てくれて、力を借してくれ、ありがたい限りです。
土日が、前出の不動産協会の理事会やら懇親会などをして、
翌日より北海道へ。
1月18日は低気圧が来ていいて、なんと飛行機が飛ばなかった。
急きょ、朝7時頃から新幹線を乗り継ぎ、新青森から青森駅まで来ると、電車が止まってしまった。
途中で事故があり、2時間半足止め。
ここは洞爺湖温泉。この時の宿泊先です。
実は昨年の2015年12月に、もう一つ会社を作った。
サ・ム・ラ・イ・エナジー株式会社というんだけど、再生可能エネルギーの発電事業を本気でやりたかった。
会社の登記を出している頃、たまたま、物件を紹介された。北海道の豊浦町という、洞爺湖のすぐ下の町で、12メガワットの発電所を作る計画が持ち上がった。
建設地の豊浦町の村井町長、副町長、各課の課長、担当者の方々、みなさんが18:00に予定より4時間以上も遅れて到着した私を待っていてくれたのだ。
ご挨拶をさせていただき、自己紹介の後、発電所の建設について意見交換をし、別れて宿へ向かった。
寒かったねー。
翌日、もちろん、飛行機飛ばない。この気圧配置図、見てくださいよ。
風ビュービューですよ。
雪に斜線がつくほど激しく降るらしかった。
安くて、美味しくて、温泉も立派でいいお湯で、素晴らしい宿だったけれど、もう、名前すら思い出せない。そのくらい慌しい2日間だった。
朝食にカレーとソーセージと納豆があって、ご機嫌だったのは覚えている。
正面が洞爺湖。翌日の道路はガチガチに凍っていた。
建設用地は雪に覆われていたけれど、敷地内に送電線が走っていて、この猛吹雪の北海道にしては50cmくらいの積雪だったので、太陽光大丈夫だろうと判断した。
投資を行う際は、一番気候や環境の悪い時に物件を見にいくのは鉄則です。
例えば、アジアなら雨季に行くべき。大体のコンドミニアムは、最上階が雨漏りしている。
約30ヘクタール(30万平方メートル、約10万坪)の土地を購入し、今年着工予定。
一応、金融機関からは融資の内諾を得ている。
こんなポスターがあるけれど、
こんな景色。
昼過ぎの電車で函館を目指す。
これ、車窓からの写真なんだけど、
波がほとんど線路のところまで押し寄せてくる。
電車は20キロか30キロで徐行運転。
勿論、遅れていた。
あーー!!押し寄せてくる!
やっと海から離れるとスピードを上げた。
完全に電車が遅れ、スーパー白鳥に乗る人は、特別に五稜郭駅に停まっているので、ここで乗り換えろというアナウンスが入る。
青函トンネルを抜けて青森側に入ると、やっと弱い西日が差してきた。
夜の8時過ぎにはなんとか、福島に到着した。
翌日。分譲地の契約などをして過ごす。
会津塗りの可愛いコーヒーカップを見つけ買ってきた。お気に入りです。久しぶりに福島で1日過ごす。
夕方、
お世話になっている一部上場企業の役員が社長になったと挨拶に来てくれたので、福島でお祝いに飲み、このカップ2つと、会津塗りの夫婦椀をプレゼント。喜んでもらえた。
で、またすぐに東京へ。
大宮あたりから富士山が綺麗に見えた。
恵まれている。
こんなおしゃれなウエイティングルームのある有名な会社に呼ばれて打ち合わせです。
その後、午後からドイツ人の弁護士事務所へ。
M&Aの打ち合わせ。
天気いいねー。
事務所の最上階に聘珍楼が入っていて、個室を予約していてくれた。
ランチごちそうさまでした。
夕方には、ロシアへ向かう時に出会った同じ名字の須藤社長からたまたま電話があり、御茶ノ水から移動して東京駅周辺で仕事していると言うと、東京駅までわざわざ来てくれて。おつもない博士まで駆けつけてくれて、久しぶりに飲んだ。
去年は勉強に行きたいと、福島まではるばる来てくれた。明るい旅と仕事の仲間です。
後ろの店員さんは、スリランカから来ていた学生で、セハーンくん。スリランカの知人の名前を出して、「有名人だけど知ってる?」と聞くと、「僕は聞いたことがあるくらいだけれど、一緒に働いている友達はよく知っているって」と、スリランカネタとアジアネタで盛り上がって飲んだ。
写真の二人はその後、不動産投資の勉強会にも来てくれて、福島で会員の皆さんとも交流し、東京支部の会員になってもらった。
その後もずっと忙しかった。
仙台へ行ったり、盛岡、釜石、山形、また何度か東京へ行ったり。事務所に居れる日は、東京や仙台からお客さんが来てくれたり、お世話になっているお客さんや金融機関の皆さんが入れ替わり立ち替わり来てくださったり、合間に分譲地の契約したり。
ちょっと異常に忙しくてクタクタだった。
で、もう一度北海道へ飛んだ。
今度は飛んだ。
札幌のレイトンホテルに泊まったら、なんと、ダイワハウスさんで経営しているんだって。
ダイワハウスオーナー会の会員だけど、特典は無いの?と聞いたけど、何も無いって。^^;
それでも朝食がとても美味しい、立派なホテルです。1万円前後で泊まれる。
札幌へ行く時はオススメです。
2日目は札幌で仕事をして、小樽まで足を伸ばし、帰りは新千歳空港で遅い昼食の札幌ラーメンを食べて帰りの飛行機に乗った。
今回は天気よかったですよ。
三陸道も見えた。
松島や塩釜のあたりだと思うんだけど、
天気はいいけどえらく揺れた。
まあ、でも、無事に着陸。
で、また、東京へ吹っ飛んで行った。
発電所の打ち合わせ、別の新しい事業3件立ち上げの打ち合わせ、東京と横浜の物件の打ち合わせ、それからドイツ人弁護士の事務所へ行き、M&Aの打ち合わせをして、そのまま夜、福島へは戻れず、成田へ直行したのが2月10日だった。
明日からアメリカ出張が始まるってのに、頭がアメリカモードに切り替わらない。どっぷり国内モードのまま。
大丈夫なのか須藤ちゃん!?アメリカにたどり着けるのか!?
そんな、1月から2月にかけての日々でした。
てな訳で、
次回から、アメリカへ行ってみよー!!
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