1月に続き2月も3月も多忙で。
夏休みの宿題と変わらないのか、このダイアリーも遅れ気味(いやいや完全に遅れている・・・)焦ってきたり、期限が来ないと始められないのは子供の頃から変わらないのであります。
2022年3月17日の大地震当日も地元におりませんで、北海道に出張しており、テレビで初めて知り、とても焦りました。申し訳ない気持ちになってしまう。
不在の中、電話による情報収集と相談、指示により、壊れた箇所を迅速に整理していただけた事、お世話になっている賃借先の皆さん、業者の皆さん本当にありがとうございました。また、地震の報を受け、北海道から沖縄まで、また、世界各地から100件以上の電話、メールなどで安否確認、励ましの報を友人の皆さんから頂戴しましたこと、この場をお借りし改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
さてさて。時間は1月に戻ります。
ご存知の通り12月末からの大雪で1月も東北・北海道では大雪が続いていた。1月23日日曜日12:00出港の新日本海フェリー。
乗船に遅れると北海道へ行けなくなるので、夜中のうちに出た。(出港の10時間前)
もちろん早すぎる出発だったんだけど、栗子トンネルを出て、無料区間を下りたところからほとんどアイスバーンだった。
私のドラテクでも5、60km/hくらいしか出せない・・・
それに眠い。眠すぎる。出発前に寝たけれど、1時間くらいしか眠れなかった。
途中、意識が朦朧としてきた頃、運よく7号線沿いに道の駅があり、1時間ほど仮眠をとった。
港には早めに着いたけれど、もっと早く着いている人も居た。みんな同じ状況で早めに出てきたのだろう。
珍しく新潟港にも除雪した雪が積もっていた。
海が荒れており、船は遅れて到着。清掃などを終え、遅れて出港した。
いつもの個室。
遠くにはうっすらと佐渡島が見えた。
弥彦山と角田山も見えていた。海が荒れている割りには天気がいい。
最初は少し荒れていたけれど
次第に穏やかになる。
西の空は厚い雲に覆われ、残念ながら夕日は拝めなかった。
夜中は少し船がローリングし揺れていた。
小樽港到着時にはデッキが濡れていたので、海水が打ち上げてきたのだと思う。(雨が降るような気温ではなかった)
5:15定刻より45分遅れて小樽港到着。起床がとても楽だった。
それにしてもこんなに雪の多い小樽は初めて見た。
今年は小樽、札幌が例年になく大雪らしい。
朝7時前。1時間くらい走っただけなのに、船で雪が全て溶け落ちた車体はホテルに到着するとご覧の通り。
まあまあ、深雪ではなく、凍っていたからまだいい方です。
到着時には空が明るくなりかけていてまだ月が出ていた。
1週間分なので荷物が多すぎます。
今回はキロロリゾートのシェラトンホテル。ベッドの足元には狭いけれど仕事机まである。
アップグレードされ、一応1番目か2番目に広い部屋らしい。
玄関が無駄に広く
玄関ドアを開けたところにトイレがある。
ギリギリで部屋に到着した時はセーフの確率が高いトイレ。
夜があけてきて、そろそろスキー場がオープンする時間だ。眠い。
最初にキロロへ泊まった年は、雪がほとんど無く、スキー場は悩まされており、隣のトリビュートポートフォリオなんかは1万円くらいで泊まれたんだけど、今年は雪が多い為、どちらも強気だった。
それでもウエスティンルスツは5万円以上するので、その半額程度で済むキロロを選んだ。(現場までの距離は倍近くになるんだけど函館から通うよりは近く、札幌から通うのに比べたら信号と渋滞がほとんど無い)
とりあえず一眠り。
そういえば、写真が一枚抜けていたんだけど、到着時ロビーには誰も居なかった。フロントの方は早朝にもかかわらず迎えに出てきてくれて、手際良くチェックイン手続きを終えてくれた。(インターネットでチェックイン手続きを済ませていたのでサインのみで済んだ)
一眠りして、目覚めると雪が積もっていた。麓のセイコーマートまで買い物へ行ったら結構雪が降っていて、車は往復30kmでこんな状態になってしまった。
15時から税理士法人を交えたZoom会議があったので1時間ちょっと部屋でお仕事をして過ごした。
この日、現場へは行かず、明日の朝から行く事になった。
いちごやブルーベリー、ラズベリーなどのフルーツが部屋に置いてあったので、シャンパンと一緒に食べました。みかんとリンゴは残す。
夜も雪は降り続いた。天気が良かったのは到着した時の数時間だけだった。
久々にフィッシュアンドチップスを頼んで、切ってから気づいたんだけど、こんな魚の丸揚げにしたような形のフィッシュは初めて見た。ジョークかい??(皿が汚れていてゴメンなさい)
翌朝。晴れました。
昨日までの雪が嘘のようです。
赤井川村内の国道をブッ飛ばす。車の雪下ろしをしたけれどガチガチに凍っていてボンネットはご覧の状態。
羊蹄山も見えるじゃないか!!
裏道に入ると道が狭く、除雪もまばらな部分が多いためあまりスピードが出せない。(所々吹き溜まりがあり、ハマるとハンドルを大きくとられる)
倶知安市街を通らず、手前の裏道から京極方面へ向かいさらに裏道を走る。
羊蹄山は頂上まで見えてきた。
現場手前の町道。豊浦も雪が多いとは聞いていたが、思ったほどでは無かった。
とは言っても、パネルが隠れるくらい積雪がある。
トシは少しでも発電するよう、パネルの除雪もしておいてくれた。
ここの除雪を自分で行います。
入ってみたけれど、今年は気温が低く、パネル上の雪が凍ってしまい、プラスチックの雪かきでは歯が立たない。
かといって鉄のスコップでは壊れてしまうから使うわけにも行かず、天気と相談しながら行うしかなかった。
午後3時を過ぎると気温がグッと下がり、全く作業が出来なくなる。歯が立たないのに一生懸命やっても仕方がないので、さっさと帰ってワインでも飲むことにした。帰りは現場のジムニーで戻る。
広い道は直線が多く雪質もいいので、スピードを出しても怖くない。
除雪作業の為、時々停められます。
帰りも羊蹄山が美しい。
夕景を見ながらホテルへ向かった。
ホテルへ戻るとウォーレン バフェットからのメッセージを見ることができた。
不動産投資家ではないけれど、世界で一番尊敬する投資家です。
翌日は曇っているようで明るい。羊蹄山を見ながら通勤。
豊浦方面の雲行きが怪しいけれど、現場に着くと晴れていた。
作業を終え(一生懸命除雪をしたので現場の写真が無い)帰る頃夕日が見えた。
京極町から倶知安町へ向かう国道は雪が無くなってしまった。こちらの除雪は完璧です。
夜はラウンジで暖炉にあたりながらワインを飲んで過ごした。
翌朝。
夜はまた雪が降ったらしい。
毎晩毎晩少しずつ積雪がある。
それでも晴れて羊蹄山も見えてるので、車を停めて撮影してしまう。
留寿都の山も見えている。
現場も晴れ〜
また積もった^^;
毎日同じ道を往復約200キロ通勤していた。
この日は気温が低すぎて2時には全て凍ってしまった。どうにもならない。パネルの雪が自然落下しない。
早めに戻るとスキー場の奥に夕日が輝いていた。
翌朝も晴れている。
夜降って昼晴れるを繰り返す天気。
羊蹄山は雲の中だけど、豊浦方面(写真左)は晴れている。毎日晴れて欲しいと祈るような気持ちになる。
あの雲の下は降っているんだろう。
雲がすごい
天気が良くなってきた。
昼はトシの元気付けに宇宙軒ラーメンへ。激辛味噌ラーメンはあまり辛くなく安定の美味しさだった^^
1日の作業を終えた帰り道。
急激に天候が悪化し、前が見えないくらい降ってきた。
夜も雪が降り続いた。
雪に負けないように暖炉の火はすごい勢いで燃え上がる。
こんなに大きな木をくべても、20分か30分しか持たないんだよな。
翌朝。
現場にはジムニーを置いてきた。この日は最終日。現場へ寄ってから港へ向かおうかと思っていたが、天候の悪化を考え念の為BMWでホテルへ戻っていた。
案の定、大雪になってしまった。現場へ行って港へ行くには時間がかかり過ぎる。(以前、高速が通行止めになり、豊浦から空港まで高柳さんとギリギリで裏道をナビで探しながら帰った事がある。「大雪→高速が通行止め→国道大渋滞」北の大地では無理が効かないんだ)
車に乗ると窓はガチガチに凍っていた。エンジンをかけて強風にして10分以上窓を温めても全く溶けない。
まずは雪おろし。タイヤハウスの雪はこんなにでっかい塊になってしまった。ハンドル切れるんですか??
天気が悪い。赤井川村中心部を通り、余市インターチェンジを目指したが通行止めだった。
道路にも雪が積もっていて、車線が狭くなっていた。各車スピードが出せない。
銭箱から高速に乗る事ができた。
札幌に差し掛かるも、高速は左側車線が半分雪に埋もれて1車線しか通行できなくなっていた。
事故や通行止めになると厄介なので逆に手前で降りた。北広島まで来たのでルートはいくつかあり、ここまで来たらもう時間的に大丈夫。高速を降りて国道を使い苫小牧を目指すため最短コースを走った。
苫小牧東港に到着。車はまばらだった。
夕方6時でなんと気温は氷点下9度。とにかく今年は気温が低い。乗船の案内を待つ。
出港。
ぶれているのは揺れのためではなく、アタシの技術的な問題です。
苫小牧が遠くなっていった。
帰りの船は少しクラシカルで。船が走るとガタガタビシビシと音がする。それでも過ごしやすい。
新日本海フェリーは人気の新潟ー小樽便に新しい船を使い、新潟ー苫小牧東便は古い船が回されている。行きは到着時間が早い新潟から小樽へ乗り、帰りは出発時間が遅い苫小牧東から新潟航路を利用するのが定番となってしまった。
ここまで来たらもう着いたようなもので。のんびりと過ごします。
函館の沖合あたり。船は白波を立て、揺れが強くなってキタ
揺れ揺れで秋田港入港。早朝の男鹿半島を回る頃揺れが最大となった。
秋田も雪が多い。
あのガラス張りのタワーは昔からあったと思うけれど一度も行った事がない。どのような施設なんだろう・・・
奥の線路には昔のブルートレインらしい車両が停まっていた。北海道へ向かう時、以前は利用してんたんだけど。素敵な旅だったなぁ。
秋田を出港すると海は大荒れだった。
船首が持ち上がり、船底が波に打ち付けられてドッカンドッカン凄い音がする。
強風で波頭が飛んでいた。波というよりうねりが凄い。
写真を撮るためデッキに出るのだが、海水がここまで襲ってくる。
それに物凄く寒いんだ。それでも皆さんにこの状況を伝えたくてガウン一枚で外へ出る。
風でガウンがまくれ上がってしまうので、ほとんどTシャツにパンツ一丁で氷点下10度の外で強風に晒されている。アホだ。やっぱアホだわ。
暴風域を抜け海は少し穏やかになってきた。前方には発達した雪雲が見えていた。夏だったら夕立ちを起こすような雲だろう。
新潟港到着。
今までの荒れた海が嘘のように穏やかな港内。
それでも波が岸壁に打ち付けていた。
天気が良く、雪はすっかり溶けていた。
無事着岸し下船の放送に従い駐車スペースへ降りた。船は30分以上遅れて到着した。
担当だった福島銀行の佐藤課長が白河支店へ転勤されて、あちらから白河ダルマを送ってくれた。説明書の通り片目を入れたけど、今回の地震で無事でいてくれるのだろうか。
エスタビルの地下には福島市の街なか交流館が移転してくる事になり、急ピッチで工事を進めていた。
戻ってすぐに東京へ日帰り。
新幹線の車両は往復とも貸切だった。
伊達市梁川町の太陽光発電所には雪も無く、平和な感じで発電を続けていてくれた。
1月もほとんど地元に居る事が出来なかったけれど、充実した日々を過ごしておりました。
おわり
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