社長のDiary

近況

こんにちは。

地震を境に、筆不精というのか、PC無精になっている私です。

さて、余震の続いている中、皆さんいかがお過ごしでしょうか?まだ、緊急地震速報が携帯電話や、テレビから突然大音量で流れたりすると、一瞬で緊張が体に走ったり、精神的に良いものではありませんね。

地震の後、いくつかの訃報を受けました。

最初は、弊社の会津若松市役所の隣で運営しているコインパーキング「東栄町24パーキング」のお掃除と管理を6年間お願いしている三沢静香さんが、地震の翌週に突然お亡くなりになりました。心底明るい、本当の会津人。会津弁でたまに電話で話をするのが本当に楽しみでした。毎月送られてくる通称「三沢レター」というFAXには、日々の作業状況が事細かく記され、苦労されている事も面白おかしく記入して頂き、月末の楽しみの一つだったのですが、本当に残念でなりません。

その翌々日には、前石巻市長の土井喜美雄さんが、津波にさらわれたのか、遺体で見つかったとの報が、仙台から多数参りました。土井さんとは20代の頃からの友人で、2ヶ月に1度くらい、石巻の春潮楼や、上野駅あたりで食事をし、楽しい時間を過ごさせていただきました。いろいろな相談をしたりされたりの仲で、引退後はご自宅へ2~3度お邪魔をしたきりになっていたので、そろそろ連絡でもしようかと思っていた矢先に、本当に残念でなりません。

4月に入ってすぐ、私の太鼓の師匠である、八巻茂さんの訃報が父親よりありました。実家のある上浜町の祭りの太鼓を長く指導された方で、私が小学校の5年生の時から太鼓の指導をしていただいた、今の私の打楽器への道を開いてくれた方です。3年くらい前に体調を崩され、父親から「指導の手伝いをしてくれないか?」と言われ、10年ほど離れていたのだけれど、一緒に指導に加わっておりました。久しぶりに会うのに、昨日会ったような接し方で、「上浜町で天才と呼べるのはこの須藤先生ただ一人だ!!」と、小中高校生へ紹介してくれていました。八巻さんが言うには、一度で全て覚えたと、去年の祭りで飲みながら昔話をしてくれました。今年から、粋な八巻さんの掛け声が聞こえないのかと思うと、果たして盛り上がるのかどうか・・・寂しくてなりません。享年63歳。若すぎます。

そんな悲しい別れがあったり、どうにも先が見えない原発問題もあったのだけれど、みんなに元気になって貰えるかな?という事で、一度中止になりかけた花見ライブを行い、BS&Bで出演しました。

本番の前の週に練習を一度行い(キーボードの岡崎先輩は、地震後の仕事が忙しく、1回目の練習不参加)、本番前日の練習で4人が集まり2時間ほど演奏したんだけど、1月のライブ以来ほとんどみんな練習していなかったようで・・・勢いはあったんだけどね。

本番は、弾き語りが多かったせいか、私も1曲目からぜいぜい息が切れるくらい思い切り叩いたし、みんなパワー全開だったので、盛り上がっておりました。セッティングが終わり、「こんばんはー!猪苗代湖ズでーす!」と言うと、ちょっとうけていました^^)今、日本で一番ナウなバンドだからね。ちょっと、お借りしました。いつも通り、楽しいライブになりました。(その日の演奏は、まだU-TUBEにアップされていないので、後日紹介します。)

今週は、借地の看板を須貝看板の須貝さんと一緒に取り付けに行ったり、

地震で崩れた、本社ビルの脇の大谷石の解体を、須貝さんと二人で行い、トラックに60体ほど積んで捨ててきたり、

土地の残金取引をしていただいたり、そんな事をして過ごしておりました。

日々目にする事で、大きく変わってしまったのは、本社ビル向かいの境界が地震で不安定になってしまい、取り壊されてしまった事。

信者ではないけれど、毎日何度も目にする美しい建物が無くなってしまうというのは、本当に悲しい事です。

福島で一番古い、築102年のおじいちゃんでした。

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