5月31日、毛利さんからの命令で磐梯山を案内する。仙台の東西会の一部ご一行様。
八方台登山口から入山。
左から毛利さん、私と一緒にサポートする浩哉さん、初登山の佐々木会長の息子さん、東洋ワークグループの須佐オーナー、仙台タクシーの佐々木会長。頂上でいつもの竹ちゃんこと竹原さんと合流する。
天気は最高!!
2人で先頭を歩いていたので後ろに差がつき一足先に中の湯跡で小休止。先頭はこれだから楽ちんなのよ。最悪は一番後ろね。絶対に休めない。到着した頃出発する。
次第に気温が上がってきました。無風。
高度を上げると裏磐梯の湖沼群が見えてくる。
雪を抱いた西吾妻山も見えます。あの稜線で雷に遭い泣きながら走ったなー。まだ、商売を始める前の出来事です。生きてて良かったよ。
お花畑のルートを行く。まだここは春になったばかりで、あまり花は咲いていなかった。
それでもいくつかの花に出逢う。なんて花だったか・・・相変わらず花はさっぱり覚えられません。
途中の茶屋で休憩し頂上目指す。まだ残雪を見る事ができた。何と言っても日当りの良い独立峰だから、長くは残らないんです。
一足先に出たけれど、のんびり写真ばかり撮ってたら追いつかれそうになり焦る。(^^汗)
頂上到着。霞がかかっているけれど猪苗代湖が見えた。猪苗代町の水田も水を引いたばかりなのか、湖が水田まで広がっているのかと錯覚す。
たけちゃんと感動的な再会があったのに、写真撮るのわすれてしもた。
3等三角点。何でだ?独立峰だよ。
下山。一足早く出て、八方台を目指す。少し、足が痙攣してきたのだ。最近、何だろう。たまにある。何かが足りないんだな。
飛行機発見。
一気に中の湯跡へ駆け下りた。(とはいっても2時間経過)
駐車場到着。30分以上早めに着いたので、のんびり空なんか眺めていました。
食後の宴会。食事も良かった。今夜の議題は福祉について考えるでした。須佐オーナーと私で福祉の現状と将来について議論を展開する。
二日目
いい庭だな。と思ったら、沼尻スキー場のコースでした。うちのゴルフ場にもこんなすてきな景色が広がっていたけれど、今では全く違う土地になってしまった。
田部井順子さんが経営するこんなロッジでした。とてもいい湯、いい宿、いい食事。
田部井さんの思い出の品々が並べられています。いつまで見ていても飽きる事は無かった。
なんてったって、エベレスト登っちゃってんもんな。
昔はこんな道具で登っていたんです。スゴいね。右下の背負子なんて、私が10年以上愛用しているのとほとんど同じです。こんなんで8000mまで行ったのか??田部井さんすげーな。
解りやすいルート図。
エドモント・ヒラリーと田部井さんが一緒にロレックスの宣伝していたなんて、オシャレですねー。知らなかったです。
だから、私の山の先生伊東先生は、ロレックス愛用していたのかな?色々と奥の深い先生です。
朝食も納豆が出てきたから100点。
須佐オーナーは、猪苗代に作った美術館の開館式でテープカットがあったりで運転手が迎えに来て、佐々木会長親子は充分満足下という事で、仙台から自分の会社のタクシーを呼んでお帰りになり、(お二人とも運転手付きでした。佐々木さんは運転手さんいっぱい居ます)今日は左からたけちゃん、浩哉さん、毛利さんと私(撮影中)の4人で猫魔ヶ岳を目指す。昨日の八方台から磐梯山へ登るルートに背を向けて、反対側へ向かいます。
ブナの新芽。
森のダムと言われる大木も、こんなに最初は小さいです。何でも小さく始めて大きく育つというのが基本。自然の摂理ですよ。
山の距離は当てになりません。平地を歩く4倍は時間が掛かる。
ウルシと青い空
いつもの山菜採取活動中。本日はコシアブラが目当てです。私はコゴミと間違えて食べられないシダを採っていたので、途中でぶん投げた。
昨日頂上で過ごした磐梯山が奇麗に見えます。
猪苗代湖は今日もガスっていた。
西吾妻はっけーん。
右の方に一切経山があり、そこから一旦五色沼まで下り、家形山に登り、そこから深い森林に入る。迷いながらいくつものピークを登っては下りを繰り返すと名月荘という、無人の小屋にたどり着く。そこから更に前進すると左側で雪を抱いた西吾妻山に到着するのですが、あの稜線が長いんだ。(それを言いたいが為の長文であります)
コシアブラ
頂上到着!天気も最高!
遠くには飯豊山が浮かんでいた。8月行きます。飯豊山の稜線は8月でも雪がたっぷりで冷たい風が心地よく、花も満開の中を歩くんだけど、稜線に出得るまでが熱さ(暑さではない)とスズメバチと目白っていう刺されると痛ーいアブと、ブヨと、喉の乾きに悩まされる地獄を10時間も延々と登らなければならない。
振り返るとでっかい磐梯山がそびえていた。
再び一切経山から西吾妻の稜線。
磐梯山
猪苗代湖ズ
一等三角点があった。何で??と、4人で考えた結果、磐梯山の方が勿論高いのだけれど、三角点の調査測量は明治時代から行われていたはずで、磐梯山の噴火も明治時代だった事に気付く。隣の山が爆発して山頂が吹き飛んだ為に、隣の猫魔ヶ岳に置かれたのではないか?と、推測した。
飯豊山を見ながら下山開始。
こんどはひたすら下る。
白子かと思ったら、カエルの卵でした。あまり気持ちのいいものではないです。
雄国沼を目指す。下ると風が無くなる。下ったらまた次のピークへ向けて登る。山はこの繰り返し。生きてるってこーゆーことばかりだな。
こっちが猫岩と呼ばれているらしい。どこがよ?
雄国沼が眼下に見える。
美しい沼です。
景色を楽しんだら黙々と下る。あと上りは無い。
川を渡ったり。
水芭蕉の花が終わったの。デカい。
水芭蕉の群生もある。
コシアブラ豊作です。春から縁起がいい。
雄国沼の畔に着く。
この水門は東京電力の所有で、水力発電に使っているようです。そういえば、磐梯町から塩川町に抜ける所に水力発電所があったけど、あれかな?
猫岩は遠くから見ると猫の耳みたいなのが見える。ソーユー事すか?
美しい水。
沼畔を歩き、小屋に到着。トイレはあったけれど、正直汚くて使う気にもなれなかった。
小屋で「毛利汁」を飲ませてもらい塩分を補給し、一足先に下山開始する。お風呂をどこにするか先に下山し、携帯とナビを使って調べたかった。(もう昼過ぎになっていて全員腹が減っていたけれど、絶対に風呂には入りたかった)
足が攣る原因は完全に塩分不足だったと気付いた。昼にカップラーメンや、蕎麦、うどんなどを食べ、山の環境保全の為に汁まで全部飲むと攣らない。塩分重要だ。
小屋を出て看板にぶつかったら右です。
立派な木が沢山あった。
1時間弱駆け下りると桧原湖畔の道路に出た。
あの駐車場に私の車を置いてから毛利さんの車で八方台へ向かったのだ。ミニ縦走完了!素晴らしい山行だった。それに、低山だからと行った事無かったけれど、いい山でした。全員で私の車に乗り、温泉に入り、八方台の毛利号を取りに行く。
車中で、たけちゃんが蕎麦アレルギーだと言う事が分かり、蕎麦屋へ行くのを諦めて、私の愛する十文字屋のラーメンを皆さんに試していただいた。食通3名は唸っていた。満足のようでした。
帰りは毛利・浩哉組と須藤・竹原組に別れ、私たちは福島へ。たけちゃんは新幹線で東京へ戻るため、福島駅まで送った。車中も短い時間だったけれど楽しかったなー。いろいろと仕事の事や、これからの人生の事、家族の事などを話しながら帰った。ものすごく魅力のある男だと思った。選ばれるべくして大企業の役員になったんだろうなー。
後日談。
行くのを止めた猪苗代の蕎麦屋は「おおほり」でしたが、山に登った丁度1ヶ月後の6/30、決算の集金で会津へ向かう途中、ちょうど昼になったので寄ってみた。アメリカから戻ってまだ蕎麦を食べていなかったので、体が欲しがっていた。
トイレに入るともう片方のトイレから出て来た(私の後に入った)老人が困っているので「どうしたの?」と聞くと、「ドアが開きません」という。トイレの一つ前になるドアが壊れていて、開かずのドアになっていたのだ。おじいちゃんが閉めてしまったら開かなくなった。
私にだってどうにもする事が出来ず、外を眺めていたら老人が携帯で友達へ電話して開けてもらえた。外部からは簡単に開ける事が出来、救出してもらった。おおほりのトイレの前にあるもう一つのドア、閉めてはいけません。
トイレの全室を出て、テーブルへ向かって歩いていると「須藤くん!」と、何十年も前からずっと聞いている声がする。振り返るともーちゃんこと毛利さんがニコニコして座っていた。
トイレに閉じ込められている間にテーブルに置かれた蕎麦をもーちゃんと、東洋ワーク会津営業所長が座るテーブルへ運び、一緒に食事をした。「あさって、常さん仙台に来るけど来ない?」といわれ、当然行ったのだけれど、広い世の中でこんな奇跡も起きるものだ。
やはり、私ともーちゃんは出逢うべくして出逢ったのだと思う。
8月に登る飯豊山の山登りの記事に気になる文章が。
昨年の大雨で登山道が崩落しているらしい。以前登った山都町川入集落からの登山口も崩落しているらしい。麓の民宿の経営者達はどうしているものか心配である。宿泊客のほとんどが登山と釣り客だから。
8月に自分も登れるのか?一昨年の朝日がトラウマになっていて、気が引けている。でも、何かに打ち勝たないとこのトラウマはいつまでも引きずる事になる訳で、それを払拭するには絶好の機会だと思う。
自分を奮い立たせ、前の日は飲まないで行けば大丈夫かな。
おわり
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