前回の北海道の旅、長万部で燃料を入れている最中、顧問の佐藤さんから電話が入った。「澤出さんが亡くなった」と。
衝撃の訃報だった。
澤出さんはトーメンという商社の出身(現在は豊田通商と合併)で、世界中を相手に仕事をしてきた男だった。
私が出会った時はユーラスエナジーの営業部長。柔らかい口調ではっきりと物事を言う男だった。(矛盾しているようだけどそういう方だった)
初めて会った時の印象は正直、「手強い」だった。竹中工務店のノバちゃんだって「ジュンちゃん、澤出さんは何枚も上手だから気をつけろー」と、電話をくれたくらいだった。もちろん、厳しい条件を叩きつけてくる。
初めて太陽光発電所建設に取り組んだのは、相馬市と丸森町にまたがる天明カントリークラブというゴルフ場の買収に乗り出した今から6年前に遡る。その時に、澤出さんを連れて来てくれたのが今では弊社の顧問になっている佐藤常寿さん(日本国土開発の元支店長、土木本部長を務め、アジア航測の技師長を務めた)で、天明を太陽光発電所にしようという発案をしてくださり、「須藤、絶対に組むならユーラスエナジーだ」と、紹介されたのが澤出部長と石黒副部長だった。着工までの約2年は苦しい日々だった。送電ルートの確保、変電所の土地の確保、許認可、日射量、EPCの調整、測量、設計、やらなければならないことが山ほどあり、一つ一つ潰していく毎日。心が晴れた日は一日も無かった。
澤出さんは経験豊富な面白い経歴の持ち主で、シリアのダマスカスなどに駐在し、アラビア諸国の王様を相手に発電所を作る仕事を長年行ってきた人だ。当時は火力発電所の仕事だったようだけど、商社マンという事は、「日本を代表して行ってこい!」と、会社から送り出されて仕事をしていたのだと思う。
ヨルダンでのハプニングと聞いた覚えがあるんだけど、ある時、港から巨大なタービンか何かを荷揚げする予定だったのに、船が予定していた港に入港出来なくなってしまい、工期が間に合わなくなりそうになった。方々走り回った結果、アカバ(紅海の一番北にある港。アラビアのロレンスではアカバを奪還したシーンで有名)の港から荷揚げする許可をなんとか取り付け、荷揚げし、陸路で運び、工期内に火力発電所を完成させて納め、王様からとても喜ばれたんだという話を聞いた。実際に経験してきた話だから、とにかく面白いんだよな。
王族や、役人、商人とのやりとり(騙し合いも?)の話など、現場で生きてきた男の話を聞きながら飲むのがとても楽しかった。
それに、澤出さんはインテリで、趣味がオペラ鑑賞やクラシック音楽鑑賞。自分は裸一貫から商売を始めた一匹オオカミでハードロックのドラマー。それでも、なんとなくウマがあったんだよね。
天明の契約が纏まったのは、自分が鹿児島へ出張している時で、東京のユーラスエナジー本社での役員会が終わった直後に担当の藤川さん(今はユーラスエナジーから豊田通商に戻り、先日連絡をとった時は、アラブ首長国連邦で太陽熱発電所を作っているガクトみたいな顔と性格の男^^)から電話が入り、「社長!決まりました!よろしくお願いします!」と、いつもはカッコイイ男も熱くなっていたんだけど、決まる時はあっけなく決まるもので、自分は「ああ、こんなものか」と。
次は何をやろうか?と、すぐに先の事を考えてしまう営業マンのサガが喜びを邪魔するんだけど、その後、澤出さんが訪ねてきてくれてお会いした時に、「須藤社長にだけは負けました。完全に私の負けです。アラブの国王にも商人にも降参した事の無い私ですが、須藤社長には降参しました。あなたはすごい人ですね。よろしくお願いします。」と言われて初めて「ああ、苦しい日々も終わったんだ。」と、「これからは発電所の完成と、売電開始を楽しみに待てばいいんだ。」と、初めて嬉しい気持ちがこみ上げてきたものだった。
竹中のノバちゃんも、「ジュンちゃん、よく纏められたよなー。澤出さんと手を組めたなんて凄いよ!」なんて電話をくれて、珍しく褒めてくれた^^
そんな苦楽を共にした澤出さんが亡くなってしまったのはとても寂しいものです。
世界中で行った事が無いのが南極だけだった澤出さんと一緒に南極へ行く約束もしていたのに、本当に残念でならない。
そんな訳で、相変わらず前振りが長くてごめんなさい。
6/11は澤出さんのお通夜があり東京へ行き、渋谷から乗り換えて葬儀場へ行きお別れを言ってきた。ヒゲのない澤出さんを見るのは初めてだったけど、今にも起き上がり、独特の口調で話しそうなご遺体だった。
夜10時頃、東京から福島へ一旦戻り、旅の準備をし、なんとなく眠り(疲れ過ぎていて深く眠れない)翌朝7:39発の新幹線に乗った。今月は一体、何度新幹線に乗ったんだろう?
羽田で毛利さんと待ち合わせ。
毛利さんは仙台から来たのに、電話をすると、何故か牛タンも食べられる東京カルビという店に居るという。普段、肉なんてほとんど食べないくせに、何でこんな店に、しかも朝っぱらから居るの??と思ったら、すでにビールを飲んでいて、「いやあ、つまみがありそうな店はここしかなかったんだよなア」と、朝からご機嫌のもうちゃんに1杯だけビールを付き合い、ここのところ飲み会やら船旅やら何やらカニやらで、食欲もなかったんだけど、国内線の飛行機では機内食も出ないので、牛タン抜きのとろろご飯をかき込み、11:30発石垣島行きのANAのゲートへ向かうのだった。
座席はほぼ満席。それなのに自分は窓際で、3人掛けの隣とその隣が空いていた。ラッキー^^窓際だけどトイレにも遠慮なく行ける^^
ANAはあまり乗らないんだけど、毛利さんの指定だったので従う。久しぶりのボーイング787だった。
新しい飛行機はいい。それに、787はエンジン音がとても静かでいい。
ターミナルから海を渡って隣の滑走路へ向かう787。
ドアが閉まってから20分以上経過。いよいよ離陸です。
東京湾の千葉方面へ向けて飛び立ち、
ギューンと右旋回し
シュルシュルシュルという独特のエンジン音で雲の上に出た。
途中、浜名湖上空。
そこから太平洋へ出て、まっすぐ西を目指す。
あとはほとんど雲の上だった。地上は天気が悪いらしい。飛行機はガタガタと結構揺れた。
離陸してから3時間、降下し始めると、曇ってはいるけれど、美しいブルーの海が見えて来た。
南国の雲たちが行列を作ってこちらを伺っていた。
右に空港のある、綺麗な楕円形の島が見えて。
後で調べたら多良間島というそうです。沖縄県宮古郡多良間村だそうで、飛行場まであります。日本地図を見たら多良間飛行場と載っていた。石垣島の北にある島です。
海と陸の境目を過ぎると
ドーン!!と、勢いよく着陸した。
ANAの運ちゃんで、上手に着陸する人に出会った事がない。JALはもっと、上品に着陸するよなー。
初の沖縄上陸が石垣島^^;
本島を飛び越えて随分と遠くまで来てしまった。
熱帯魚も泳ぐ南国の空港。
以前の空港は滑走路も短く、あまり飛行機が飛んでいなかったらしいんだけど、ここ数年の間に新しい空港が開港し、飛行機の便数が増え、たくさんの飛行機で人々が小さな島にじゃんじゃん訪れるようになって、石垣島もバブル状態だという。
「バスで行くから」と、路線バスに乗ることに。
高速道路も無いから、高速バスも空港リムジンバスも無い^^;
南国らしい空港。
車窓ではのどかな風景が過ぎてゆく。
マングローブの生い茂る川。
離島だけどマックもある。
サトウキビもある。
福島には無い徳洲会病院もある。
車のプレミアムアウトレットだってある。
マックスバリューもある。
ビレッジバンガードは路面店である!!凄い!!
アパマンショップだってある!
福島に無いものがたくさんあるではないか!!
そんな訳で、600円弱のバス代を支払い、港に到着。
ここから船に乗り、西表島へ向かう。
株式会社由布島という、由布島を所有する会社のオーナーである西表メリーさんに呼ばれ、土地の相談を聞くために来たのだ。
港の店では見たことのないようなものを沢山見かけた。
手作りのサータアンダギーはどこの店にも売っていた。
いよいよ乗船。
飛行機か特急列車並みに立派な船のシート。客は10人もいない。
ガラガラだった。毛利さんはずっとビールを飲んでいた。「もう1本ある?」とか言って、お代わりしていた。イケるクチですね。1本余計に買っておいて良かったよ。
出港。港の海も青い。
港湾内を出ると、ものすごいスピードで飛ばす。
竹富島の脇を走る船。西表島も住所は竹富町なんだよね。
石垣島のすぐ北が尖閣諸島で、すぐ南が西表島です。
西表島のすぐ西が台湾(与那国島が台湾との国境の島だけど、位置的にはこんな感じです)で、ちょいと南へ行けばすぐフィリピン。
フィリピンと西表島の中ほどに北回帰線がある。
ますますスピードアップ!凄い勢いで船底から水が吹き出す。
80キロくらい出てんじゃないかな?そんな船って競艇の船くらいじゃないの!?
海がギラギラと輝いていた。
天気予報は滞在中の4日間ずっと雨だと言っていたのに、こんなに晴れた。
西表島だけは雲の中にあった。
雲に覆われたように見えていた西表島、晴れていた。
上陸すると旅館のご主人が迎えに来てくれていた。
2間の和室。
毛利さんを奥に、自分は手前の窓側の部屋で寝る事にした。
部屋からは平間川の河口から続く太平洋が見える。
島の東側が太平洋で、西側が東シナ海。East China Sea.
今もあるのかわからないけれど、中国のどこかから出港し、東シナ海で争われる China Sea Race というヨットのレースがある。基本的に南国の海でのレースなので、全くの無風地帯などもあり、大変過酷なレースだと聞いたことがある。そーゆーレースに出てみたいよな。
南国の花々が咲き乱れる。
仲間川の船着場。
初めてのイリオモテヤマネコは残念ながら石像の猫だった。
歩いて食事に向かう。10分か15分だからと言われたけれど、30分近くかかった。何と言っても湿度が高く、気温が30度以上ある。せっかくシャワーを浴びたのに、また汗をかいてきた。
この奥がマングローブの森になっており、その先すぐにジャングルが広がっている。島の中心部は山なんだけど、その辺りはいつも曇っていた。
いい眺めだよなー。
収穫を終え、次の成長を待つさとうきび畑。
植えてから2年経たないと収穫できないそうです。収入は米の半分くらい。
南国の植物がここにも咲いている。
竹富町の役場は、なぜか石垣市(石垣島)にあり、西表や竹富などの島々には無いそうです。日本中でここだけの珍事らしい。
それでも、やっと、西表島への役場移転だけは決まったとか。
用地選定や、着工時期などままだまだ未定のようです。のんびりしているからね。
スタンドも6時前には閉まってしまう。
堆肥が566円で売られていた。
古そうな消防車が申し訳なさそうに仕舞ってあった。まだまだ現役なのだろうけど、あまり出動はしていないのだろう。
昔ながらの沖縄の家。
トックリヤシだったかな。
花壇に植えられているような花も珍しい。
郵便局のシーサーはヤマネコだった。
今夜は、「はてるま」という店で飲む。日本最南端の島の名前。
古民家を改造して造られた店内。
エアコンが強風で吹いていてとても涼しい。安心して飲める。
まずはオリオンビールの生で乾杯^^
オリオンの生は初めて飲んだんだけど、美味しいビールだねー。
沖縄のもずくやら
ミーバイやマグロ、タコなどの刺身
刺身美味いんだよなー。
泡波という、初めて飲む泡盛も美味しい^^
どうやら、波照間島で作っている泡盛らしいのですが、増産をしないので最近は値段も上がっているとか。西表島ではだいたい飲食店やホテルなので1本2000円から3000円くらいで飲めるので安いものです。
パパイヤの煮物や
あげた魚の下には沖縄独特の野菜が敷いてあり、一緒に食べると美味しい。
豚の角煮。プルンプルンですよ^^
この夜ははてるまの店主吉本信介さんも一緒に飲んだ。
若いのに、食材は全て自分で捕って来るという。頑張ってるし。底抜けに明るい。そして礼儀正しい。西表島へ行ったらはてるまさんへ是非行ってください。
この島にはタクシーが無く、飲食をした場合には、店の方が送るのが慣例となっているらしい。
吉本さんは話しているうちに我慢しきれなくなり、友達へ電話をして車での送りをお願いし、11時頃に迎えに来ると言うことで、これまで一緒に飲んだ。
「次は朝まで飲みましょう!!」と言うのだけれど、東北にはそーゆー風習が無いんだよねー。おじさんたちはなるべく12時までには帰ろうとする。沖縄は人も熱い!!
翌日。
宿まで由布島の支配人屋宜(やぎ)さんが迎えに来てくれて、島内を見ながら状況を聞くことに。
屋宜さんが最初に向かったのは山羊のところだった。(笑笑)
この山羊たちは放し飼いにされていて、元気に草を食べていた。
なかなか、人懐っこくて可愛いんだよね。
サトウキビの収穫を終えた畑。奥には太平洋が見えていた。
南風見田の浜と言う
遠浅の海が延々と続く美しいビーチです。
海水浴はできるけど、トイレも何も無い。^^
天気が良いと波照間島が見えるらしい。
残念ながら今回は見えないね。
反対側は山で、道はここまでしかない。
屋宜さんによれば、あの山を超えて海を渡り南シナ海側の奥西表と呼ばれる地区まで徒歩で行けないこともないような話だったけど、まるまる1日はかかるという。地形も道(無いだろうけど)も解らないから、「須藤ちゃんジャングルに死すの巻」なんて題材でこのブログを終える事になりそうなルートなので、そんな冒険はしないのです。
そんな屋宜さん
ヒルガオだそうです。
海側が晴れていても、山の方は大抵雲に覆われている。
島ではコメも作っていて、驚いた事に今が収穫時期だという。
6月の上旬に収穫・・・
2月か3月には田植えを行うそうで、二毛作も出来るけれど、台風でだいたいがやられてしまうので二毛作まではやらないそうです。
稲刈りを終えた田んぼ。
土地改良したんだね。
その後場所を変え、待ち合わせの直線道路。山の雲が少し晴れてきた。雲がいつも早く動いている。
この辺りは一時、西武らが買い占めたらしいです。
でも、島民の方々が買い戻したそうで。リゾートにならなくて良かったよ。
山羊らのところへご案内いただく。
この方々はフェンスも無い草原に本当の放し飼いをされていた。
お母さん山羊だけ繋いでおけば、子やぎは離れようとしないそうです。素晴らしい知恵。
サトウキビの奥に何やらでかいのがいて。
お父さん山羊がいた。かなりの獣臭がした。
とてもでかい山羊で、最高の種山羊なんだそうです。メス山羊10頭以上とお相手をしているらしい。
あんたはアラブ人か!?
「ここにも放しているさー」と。呼ぶと顔を見せる山羊たち。人間との信頼関係が完璧に構築されている。
呼ぶと喜んでU字溝から出て来る、黒豚のユージコージくん。
豚もなかなか可愛いんだ。島の豚はこれ以上は大きくならないらしい。
飛べない豚はただの豚だ。
道の奥には海が美しく輝いていた。
フェンスの内側にユージコーを置くのは、黒豚のユージコージくんが穴を掘って脱走しない為だそうです。そういえば、うちの天明のゴルフ場もイノシシに土を掘り返されて、大変だった。ミミズなどを探すらしいね。
雲と空がいかにも南国。
サトウキビと青空は似合う。
「この山羊はいい母山羊でさー」と、山羊たちを紹介してくれたのは屋宜さんに紹介された金盛さん。
とても素敵なおじさんで、たくさんのことを教えてくれた。
知らないことを教えてくれる人というのは、なんだか好きになるよなー。
仕事も一生懸命な方で、朝の4時から働くという。造園会社とか、他にも事業をしており、多角経営らしい。
金盛さんと別れ、北へ移動する。
途中のパーキングで車を停め、海を眺めると小浜島が見えた。
反対側には田んぼとジャングルの山々が見える不思議な風景。こちらも春を過ぎた頃なのに稲は黄金色に輝いていた。
相談案件に到着。
こんなビーチの付いた土地を所有している。
美しい。美しすぎるビーチ。手付かずのビーチですよ。
奥には難破船も見えて、雰囲気いい。
海と空が美しい。
所有地は海側と山側に別れていて、広大な土地を見て回った。
蓮の池。
本気で活用を考える事にする。
また、移動しまして。
駅に到着。
駅と行っても由布島へ渡るための駅です。
立派なトイレもある。
後ろを振り返ると山の方はこんなに曇っていて。
海の方はこんなに晴れているのよ。
不思議な島さー。
この水牛車に乗るための駅です。
馭者のお姉さんが三線を引いてくれてさー。ゆっくりゆっくり海を渡るのです。
ゆきちゃんだったかな。ゆきちゃんといえば山羊なのに、水牛のゆきちゃんに出会う。
相変わらず後ろは曇っていた。
隣を別の急行牛車が抜かしていく。
タイヘンお世話になりました。
由布島はとても美しい島だった。
元々は4人で所有していたそうですが、台風で家も流され、この株式会社由布島さんが買い増していったそうです。
西表島はマラリアの島で、誰も住むことが出来なかった。それでも、八重山諸島一広大な土地を活用しようと、最初は古見(こみ)という地区に人間が入植し、土地を広げていったそうです。古見は今でも島の重要な地区。奇祭もあるそうで、その祭りの内容は語ることも許されていない。
近くの黒島、新城島(アラグスク島と呼ぶ)などは水が無いので、コメが育てられない。これらの島から人々が訪れ西表を開拓していったそうです。
戦後の話だと聞いたけれど、それでも大型機械も無く、マラリアと戦いながら、先人達は大変な苦労だったろう。
由布島はもっと古臭いお土産やさんとかオープンエアな食堂があると予想していたんだけど、こんな立派なレストランと売店があったのでビックリ!!
団体用の食事スペースもあり。広い。
エアコンもきっちりと効いている。
美味しい昼食をご馳走になり、島内を歩いてみた。
貝を展示している建物。
暑くて15秒で出る。
でっかいタツノオトシゴが「暑くてごめんよ」と謝っていた。汗かきすぎて干からびている。
島の反対側、太平洋側に出ると、すっかり干潮になっていて、貝でもなんでも取れそうだったけれど、そんな準備もしていないのでただ眺めるだけだった。
どこまで退いたんだろう。地元でこんな景色を見たら、絶対に津波の前兆だと思ってしまう。
こんな可愛い喫茶店もある。
メニューです
こんなすごい木も生えている。
以前住んでいた方々は井戸で生活していたんだね。
いくつかの井戸跡があった。
ブーゲンビリアガーデンは室内にある。
毛利隊長に促され・・・
腸炎へ。
もとい。
ちょう園へ。
こんな蝶々がお出迎え。
正直蝶に関してそんな詳しくも、大好きでも無いんだけど、珍しいというだけで飛びついてしまう、相変わらず軽いです。
この幼虫が右のサナギとなり、
やがてあの変わった蝶へと生まれ変わる。
素晴らしい。
このタネは、フィジーにも
たくさん落ちていて、中身を植えると生えてくる。
水牛の家系図。
だいたい20年から25年しか生きられない。
西表に戻る。
島の中心の方(ジャングル)は相変わらず曇っている。
海の方は晴れている。
美しい。
写真みたいに美しい。
野生動物保護センターへ寄ってもらえた。
イリオモテヤマネコがお出迎え。
ヤマネコや、カンムリワシの目撃情報多数^^
結構道路に出てきてひかれちゃうんだって。
また、ちょっと寄り道。
古見地区の道路っぱたに天然記念物があるという。
サキシマノスオウサキ
洗濯板の様なのが根っこなんだそうです。
こんな自然を守りたいものです。
こちらは屋宜さんのお嬢さんが書いた絵だそうで、最初から目を引いていたのだけど、今は芸大だったか美大だったかで美術を学んでいるそうです。
これが美味しかったんだー。梨の様な味がする。とてもジューシーです。
パイナップルの花が咲いていた。珍しいものだそうです。
広大なパイナップル畑を見せていただく。
小高い丘の上からはパイナップル畑と海が眼科に広がっていた。
マンゴーだってもちろん作っている。
でかいの
マンゴスチンに
これがパンの木だったかな?
エッグフルーツだったかな?
アボガドは木になるんですね。
こんなでっかいトラクターで農業を行っている。
「旅館へ持って行って」と、パイナップルをいただいた。これがうまいんだー
西表島パイランドファームのこの箱を見かけたらこちらのですから、お買い上げよろしゅうお願い申し上げます。
二日目は宿で飲む。
この八重泉がうんまいんだ^^
西表の食事
魚もうまいさー
これが先ほどの梨のような桃のようなフルーツ
また食べたいよねー。痛むのが早いんだって。
毛利さんと西表島在住謎の美女。
この日は9時頃お開きとなった。
翌朝。
今日も天気がいい。
しかし、風がメチャメチャ強かった。
西表の食事もこれが最後。なんだか、食べながら健康になれた。
島でよく見かけた古代米なのかな?赤いお米で炊いたご飯は粘り気があり美味しい。
竹盛旅館
色々とお世話になりました。
もうちゃんが「あ!!〇〇〇〇だ!!」と花の名前を言って興奮していたけれど、名前を忘れました。
興奮状態になる花の実。何か、実の方に興奮状態にする成分でも入ってるんだろか??
平間川の船着場からワゴン車で島の港へ送ってもらい、ジャングルクルーズの船が到着するのを待つ。
朝の8時前でヤマネコ商店も閉まっている。
こちらの船で平間川を上り、マングローブを見に行きます。
もうちゃんが段取りしてくれた観光^^
あまり早くなさそうなエンジンが2基。
スピード感の全くない操舵席。
こんな小さな船で70人以上も乗れるなんてビックリ!
波止場の隣には似たような名前の船が停まっていた。
いよいよ出港
平間川左岸の小さな港は昔の西表島の港だそうです。小さいので現在はレジャー用に使われているらしい。
この橋までが海。橋を潜ると川になるそうです。
誰が決めたって??国じゃないの??
現在は満潮
一番早い船に乗ったんだと思ったら、もう帰ってくる船もいた。
なかなかのジャングルですよ。
このツアーは、ジャングルを30分船で分け入り、上陸して戻るという、約1時間の短かいクルーズなのだ。
サキシマスオウノキを見るのが目的。昨日のせんたく板です。
確かにすごい
こーゆーことですよ。
10分もすると乗船し戻る。
ここから上陸し山へ入れるとか。
ハブ怖い。
帰りに見せてもらったんだけど、このおばけハマグリが生息しているそうです。
大きいし味も大振りなんだとか。その割に身が小さいそうです。
港へ戻るとすぐに石垣島行きの船に乗り換えた。
相変わらず風が強い。
宿のご主人に「こんな風で船は出るの?」と聞くと、「台風以外は絶対に出ます」と。この辺りの交通事情はどうなってんだ??
大荒れだった。
5m以上の波が四方八方から押し寄せてきた。
それでも相変わらず80キロで走る船。何度も波のてっぺんへ押し上げられ、そこから3m、5mとズドーーーン!!と落とされた。
体は宙に浮いたり椅子に叩きつけられたり。シートベルトの意味がやっとわかった。
今年一番の面白い体験だった。
なんとかかんとか石垣島へ。
港では具志堅用高が両手をあげて待っていた。
そりゃあ、あの嵐を突っ切ってきたのだからチャンピオンの激励があってもおかしくない。
冒険だった。
嵐を突き抜けてきた冒険船。
レンタカーはどこもいっぱいで、やっと見つけた会社のレンタカーがくると、メタリックピンクの軽ワゴン車だった。(大汗)
もうちゃんの運転で助手席に乗る。
玉取崎展望台に連れてきてもらった。
景色はいいのに名前がよくない。
玉
取り
裂き
天気が良いと海がとても綺麗な場所だそうです。
名前がよくない。
海は島の周りがグルっと遠浅なんだね。
そこからすぐの、明石という集落にある、明石食堂へ。
民宿といっても立派なRCの建物。
30分近く並んで
ここの八重山そばを食べる。安い。
大先輩に運転してもらっているのでビールは飲まない。
島の調味料たち。
これが絶品だった。
とろっとろのソーキも単品で頼み、一緒に食べた。
もちろん、ソーキもうまいさー^^
明石食堂を出ると大雨になった。
ピンクの軽自動車でも雨を凌げるのは大変ありがたい。
乗っていれば平気なんだけど、乗り降りのたびにちょっと照れる(//∇//)
石垣島最北端、平久保崎の灯台にたどり着いた。
物凄い風と雨で、雨が止んだ瞬間に急いで車を降り、100mくらい歩く。
この岬から左が東シナ海。
平久保崎とか、平久保崎灯台で検索すると、晴れている時の写真がたくさん出てくるので、是非見てください。
晴れたら1万倍綺麗です。
あの島のあたりが海の境界なのかな?
真っ黒の雲から少し明るい雲がやってくるだけで、海が美しい色に変わる。
ほーんと、晴れていたらどれだけ綺麗なんだろう。
右の 太平洋側。
歩いて駐車場へ戻る。
その後、島を南下するように一周する。
24時間車を借りたのに、ガソリンは入れなくていいのだという。
こんなにデカイ島を走ってもガソリンいらないって、まあ、助かるけど。
赤土の大地。
途中でヤシの木の中に立派なRCの建物がある。
ヤシの木博物館。サタケ八重山ヤシ記念館へ。
固有種のリュウキュウヤエヤマヤシの群生地に建っています。
屋上に出た。
ちょっと晴れてきたけど、好転する要素は無かった。
その反対側の山に珍しいヤシの木が群落している。
この建物はもう亡くなった方だけど、佐竹先生の建物で、現在は博士が作った財団法人が管理している。
また、理事長は博士の娘さんが就任しているそうだ。
このヤシは「サタケンチャ」と、佐竹博士にちなんで沖縄では呼ばれています。
ヤシはまず、葉の形で2つに分けられる。そこから11亜科29族253属3333種に分類されており、このサタケンチャは沖縄諸島での固有種であることを博士が発見した。
沖縄諸島とはいっても、西表島とここ石垣島にのみ生息しており、このような群落は石垣島のここにしかない。
これはイタリアで製作された本。世界に2冊しかなく、もう1冊はイギリスの大英博物館にのみ所蔵されているとても貴重な資料だそうです。パッと目に入った瞬間、その存在感に驚いたほどです。
こーゆー明かり取りの窓いいねー。
こんな打ちっ放しのRCの建物が好きで、本社を建て替える時にはRCで造りたい気持ちもあるのだけど、固定資産税が高すぎる。
先日やっと決断して壊したゴルフ場の建物は年間800万円以上固定資産税を払っていて、それが理由で泣く泣く壊した。
他にも地元上浜町に持つ住宅だって120坪の建物で年間70万円も払っている。鉄筋コンクリート造は評価額が落ちないんだ。
気候変動で嵐の日が多くなり、強固な建物を望む人が増えているのだから、木造並みにとは言わないけれど、せめてアメリカのように取得価格に連動した固定資産税額に日本も変えていくべきだと思う。
じゃあないと、立派な建物を長く維持することが出来ないし、スクラップ&ビルドの日本の慣習は変えられないと思う。
せっかく造ったのに勿体無いよね。
新築も解体も、環境には悪いんだよ。
「川平湾(カビラ湾)には行ってみようよ!」
と、何度もカビラカビラと聞いたので、司会者のカビラの顔が頭に浮かんだまま助手席に乗っていたんだけど、もうちゃんがどーしても見せたいという意味がわかった。
船底に穴を開けてガラスに入れ替え、水上を移動しながら客に見せるための船たち。(一言で言うと、この船は何て呼んだらいいんだろ?覗き船でもないし、観察船でもないし)
男二人旅。
感慨に耽るもうちゃん。
高台から見下ろすと、とても美しい景色なのだ。
ホント、晴れて欲しかったな。
沖縄の野菜と貝を炒めたもの。
ホテルに夕方チェックインし、石垣の中心にあるNo.4という店(店の名前)で待ち合わせをしていた。
マグロとアボガド。
マグロは沖縄ではたくさん採れるんだよね。
カツオやカキフライ。
本土でも食べているような食べ物も、もちろん食べられます。
屋宜さんと西表メリーさんと食事をした。
みんなは食べたくないという大好きなゴーヤチャンプルもいただきました。
島豆腐の揚げ出汁はうまーい!!
飲み物はバラバラ。自分と屋宜さんはビールの他にスパークリングワインを3本平らげいい気分に。
写真に入るのを邪魔される。
メリーさんは、商工会の役員をされていて、昨日台湾からそのお仕事で戻ったばかり。
屋宜さんは、夕方の船で西表からわざわざ出てきてくれた。
「すんごい揺れましたよね!!」というと、「まだまだ。最悪の状況が10だとすると、今日のは7か8くらいだな」ということで。それって、俺たちまあまあヤバい状況だったんじゃあないの??
メリーさんと別れ、
それから男3人はフラフラとネオンに吸い寄せられていく。
よくわからない裏通りを通り、来た事もない道を右へ左へと。
結構立派なソシアルビルがたくさんあるんだよね。
まだまだ先、島の最深部へと案内される。
俺たちはここから抜けさすことができるのだるうか・・・??
デカイホールの立派な店に連れて行ってもらった。
スナックの立派な所とでもいうのか、今時のクラブとかではなく、東京のナイトクラブといった感じの店。ボーイさんまでいる。
1時会と変わらないくらい豪勢な食卓。もう、お腹いっぱいだよー^^;
話をして飲んで歌って、もうちゃんは先に帰ってしまい、屋宜さんと別れる頃には深夜になっていた。
案の定道がわからず、人も歩いていなくて、いつものヤマカンで中心部の交差点にまっすぐ出た。
こーゆーときはなんとか帰れるものです。
翌朝。
簡単な朝食(多分パンと牛乳とジュースくらい。)をもうちゃんは済ませて来たらしく、「朝食は?」と聞かれたけれど、全く食べる気になれず、朝ドラを見ていた。それにパンはあまり食べない。
二日酔いのまま助手席に乗った。
大人の先輩はさすが隣で何事もなかったかのように爽やかな運転をしていた。
今日も分厚い雲が石垣の海を覆っていた。
川平湾に到着。今日は飛行機まで時間があるから昨日の船(覗き船?観察船?)に乗ろうということに。
このなかなか手作り感のあるイカした「たいよう号」に梯子がかかっていたので、これに乗れるかとワクワクしていた。
乗船案内までしばらく待つ。
残念ながらたいよう号ではなく、隣の普通の船へ案内された。
二日酔いの私は周りの乗船客や乗組員の迷惑にならないよう、先頭側の端っこに陣取った。
サンゴと貝。
デカイ貝が密集している。
何の写真だろ??
これはサンゴ
魚たち。
湾の外側、昨日みたいには荒れていない。
晴れればなー。
あんなまん丸の島が湾の中心にある。
美しい写真を見ると、同じ場所とは思えない海の色だった。
最後の最後まで空は晴れなかった。
まあ、4日間ずっと雨の予報だったのだから、まだマシでした。
空港の近くでレンタカーを返し、送ってもらった。
ガソリンは1メモリも減っておらず、これならガソリン代込みでも充分採算が採れる。島の面積が大きいとはいっても、福島県みたいにデカイ訳ではないし、1周したって半日はかからない。給油しないで返却して良い意味がわかった。
ホテルにも泊まらず、24時間ずーっと島を走り続ける方にはとってもお得なシステムかもね。
空港に到着し、昼食を食べないと朝メシ昼メシを逃すことになるので、空港の簡単なレストランで簡単なカレーを食べた。
12:30飛行機に乗る。
自分は窓側だったんだけど、若いご夫婦と1歳の女の子(抱っこ)が真ん中と通路側の席に座っていたので、「どうぞ」と窓側を譲り、自分は通路側に座った。若いご夫婦はとても喜んでいた。(良かった良かった)女の子は離陸する少し前に寝てしまい、着陸の30分前まで一度も起きないとてもいい子ちゃんでした。周りでは最初から最後まで大泣きしている子供も居て、お母さんが何度も立ち上がりトイレの方へ行ったりして大変そうだったけれど、この子は終始ご機嫌だった。
自分は、飛んでる最中ずっと、すこーし気持ちが悪く、窓側の席を譲ってよかったと、ムカつく胸を撫で下ろしたりしていた。(撫で下ろしてはこみ上げたり体が熱くなり冷や汗をかいたりと、今までで一番辛いフライトとなった)
3時間後。
羽田に到着。
ドーン!!と飛行機が一気に降下した。エアポケットに入ったらしい。
天気が悪く、ずっと揺れていたけど、着陸の30分前から揺れが酷くなり、何度か落ちた。自分も驚いたけど、後ろの席のオジサンが「うわー!!」と、でっかい声でビビっていた(^0^)
あ、旅の仲間は前の方に座っていたので、どのように驚いていたのかは不明です^^
羽田は天気が良く、暑かったけれど、西表に比べたらこんなのヌルイヌルイ^^
空港では二人の客人が待っていて、打ち合わせがあった。
今日一番のいい事はスターウオーズの飛行機を見れた事^^
乗ってみたいねー。CAがR2D2だったりしたら100点なんだけど^^
空港での打ち合わせを終え、モノレールに乗り、山手線を乗り継いで東京駅に出た。
帰りの新幹線。羽田の天気が嘘のような豪雨の中を帰る。
栃木県から福島県二本松市あたりまでずっと激しい雨が降っていた。
西表を後にする日、大切な忘れ物に気づいていた。
澤出さんの香典返しにもらった今治タオルが見当たらない。
宿に電話すると見当たらないという。丁寧に挨拶をして電話を切った。
よくよく考えると、はてるまで食事をしてから手元に無かったので、はてるまに電話をすると店主の吉本さんが出て「あー!!ありますよ!店のタオルと思って重ねてありました。ごめんなさい」という事でホッとした。
澤出さんの形見(?)のようになった今治タオルは事務所で大切に保管してあります。旅が好きだった澤出さんの形見らしく、西表から帰りたくなかったんだろう。
嬉しいのは吉本さんへ着払いで送ってもらうようお願いしたのに、パイナップルを3つも入れてタオルと共に送ってくれた。しかも、送料まで負担してくれて。南の島のおおらかないい男に出会えた事に感謝する。別れがあれば出会いもある。
後日、北海道から白い恋人を大量に送っておいたけれど、届いただろうか?沖縄の海のものは、北海道に負けないくらい美味しかったし、ジンギスカンというよりは山羊汁だろうし正直何を送ろうか迷った。
ちょっと無難かもしれないけど、西表では間違いなく手に入らないものだから、喜んでもらえれば幸い。
最後の思い出となってしまった、昨年東京で澤出さんの退職と、再就職をお祝いし私が催した宴の写真。
右が澤出さん。左が佐藤顧問。
ウマの合う二人。
二人に鍛えられたアジア航測の弟分高原ちゃん。成長したね。
一緒に天明ゴルフクラブを太陽光発電所にコンバージョンしてくれた方々。まだまだ何年も何年も盃を交わし、あの時の昔話をしたいと思っていたのにとても残念でした。人一倍健康に留意されていたのに。
澤出さんのご冥福をお祈りすると共に、読者であり友人の皆様のご多幸をお祈り申し上げ長文を閉じます。
本当に長くなってしまった。ごめんなさい。
お付き合いありがとうございました。
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