翌朝というか、真夜中には目が覚めてしまい、ぼんやりとテレビを見て過ごした。外は真っ暗で様子がよくわからない。
相変わらずベッドが2つあっても大きすぎて片方の半分しか使えない。あとはRIMOAの旅行カバンに休んでもらった。北国への旅は荷物が多く、カバンの整理も一苦労なのである。
今日の朝ごはん。皿ばかりたくさんあるけれど、たいしたものはないんですよ。
この白いお粥のような、ヨーグルトのような、パン粥のような、不思議な食べ物。はまってしまい、お代わりしちゃった。少し甘くて、病みつきになった。名前がわからないんだよね。ここでしか食べることができなかった。
ホテルの前の道路は車が全開でぶっ飛ばしていた。
ところがスパイクタイヤを履いている車が沢山いて、ジャラジャラゴーゴーと、景気良く音を鳴らしてぶっ飛ばしていた。BMWなんか、あれは絶対にレットゾーンまでぶち込んだ音だな。
ホテルの隣にはアエロフロートのオフィスがあった。オフィスは綺麗なんだけどな。
ホテルのショップ。ほとんどマトリョーシカしか置いていなかった。他にはお土産ないんかい?
水たまりには氷が張っていた。寒いわけですよ。
周辺の裏通りは集合住宅になっている。メイン道路沿いにホテルや店を並べ、裏側には住宅を配置するという、理想的な街づくりがなされている。
お世話になりました。
出発。
ビルをいっぱいくっつけたようなビル。ごついね。こんなに・・・増築じゃないよな?
日曜日で街は閑散としていた。昨夜の民族大移動とは大違い。本当に郊外の別荘へ行ってしまったのか?
軍の建物であります。敬礼。
昨日のクレムリン。あまり写真を撮るとスパイ容疑で逮捕されそうなので。
2枚だけ。
その近くにある大聖堂へ行く。
救世主キリスト聖堂
祖国戦争(ナポレオンのロシア侵攻に対して行われた防衛戦)に勝利したことを神に感謝するため建てられたものです。
1838年着工。1883年完成。高さ103m。
2000年に再建されました。
なぜ再建されたかというと、革命後の宗教弾圧の対象となり、1931年12月5日にスターリンの命令で爆破されたそうです。
スターリン恐るべし。
その後、フルシチョフの時代には屋外温水プール「モスクワ」なるものが作られ長らく親しまれてきたものの
ソ連崩壊により新生ロシアの象徴として再建が始まり2000年8月に完成したそうです。
ものすごい音で鐘がガランガランとなっていた。上を見ると人がいて、人力で鳴らしていた。近所にお住いの方は日曜の早朝にこんだけガランゴロンとやられれば、うるさくて寝てられないと思うけれど、みんな郊外の別荘へ行っているから文句も言わないのか・・・はたまた文句など言おうものなら逮捕されてしまうから言えないのか・・・
それにしても、どこもかしこもピシッと整備されているんだ。大したものです。
こんな手すりだってデザインされている。
植栽から手すりからちょっとした部品の一つ一つまでデザインが施されている。
このでっかい像はピョートル大帝の記念碑。偉い人はでかい銅像やこんな巨大オブジェにして貰えるんだから、プーチンがいつまでも権力を握っているのがわかる。納得。
無駄にでかい美しい歩道橋。
その後ろに聖堂がある。
旧と新、歴史と近代化のコラボ
モスクワ川です。
その奥にクレムリンがある。
聖堂から見ると、さっきのコラボはクレムリンの反対側に見える。
ずっとガランゴロンいっていた。
空が澄んで綺麗なんだよな。
もっと灰色の街を想像していたのに、カラフルで全ての建造物が芸術的なんだ。
正面から一周できるんだけど、一周したところで中を見ることができたので(無料)入ってみた。
男性の重低音の歌声と、女性のコーラス隊の美しい歌声のハーモニーが流れていて、実際にここで歌っていた。ものすごく美しいいつまでも聞いていたくなるような神々しい聖歌だった。写真撮影が禁止なのは残念だったけれど、キリストやマリア様の絵が素晴らしかった。あの世があのような世界ならば是非いつか行ってみたい。(キリスト教徒じゃないんだけど)
こんなかわいい建物だってある。
こちらのバスは2タイプあって、この電線から電気を受電して走るのと、ガソリンかディーゼルで走るのとある。
きっとまた来ますよ。あの中の歌と絵画と装飾と空気にはここまで来なければ触れる事ができないんだ。
空港へ向かう前、ホテルへ戻ってトイレに入ろうと思ったら、ホテル周辺をプーチンが通るらしく警備が厳しくなっており、一時通行止めやら何やらで身動きが取れなくなる可能性があるということだった。
クレムリンの脇にある公衆便所。昨夜入ったトイレはすでに撤去されていて、ここしかなかった。日本でいうbotton type
昨夜は暗い中で用事を済ませたのでよくわからなかったけれど、中は最悪だった。汚いなんて言うもんじゃないんだけど、物はそこらじゅうに振りまかれているし、japanese kinkakusi の中にはジュースの便(間違えた瓶です)やらペットボトルやらetcetc…ゴミは何でも捨ててあった。日本でも山とか花見とか花火大会とかで同じようなのがお目見えするけれど、日本人のマナーというか、トイレに対する向き合い方は大したものである。不浄のものを美しく保つというのは日本人独特の美意識の現れなんだろう。みなさん、トイレは綺麗に使いましょう。自分のため、次の方のためにも。トイレにまつわる日本の格言というか、名言が沢山あり、トイレで目にするという事を聞きながら(大体が一歩前にとか、あなたのはそんなには大きくないとかいう内容がほとんどある。)思わずにやけてしまうような逸品もあるんだけれど、その研究や議論については股、次の機会に。
空港へ向けて出発。1階がテナント、上が住居という建物が多い。ほとんどかな。合理的なんだ。勿論、日本にもあるけど。
ソ連崩壊の時に、国有だったマンション(こちらでいうとアパートメントかコンドミニアムなのかな。マンションは日本語です)は居住している国民は無料で国があげたそうです。いいとこあんじゃん^^
旧と
新
このあたりは共産党時代に作られた感がある。
もう、完全に資本主義国家だよね。立派立派
道路だって立派。
まっすぐな道路、有事には戦闘機の離発着が出来るように作られている。
結構カラフルな建物もあるんだ。
二日間お世話になったバス。オリエント急行のようなカラーリング。運転手さん上手でした。
昨日とおなじシェレメチェヴオ国際空港へ。
昨日と同じアエロフロートの国内便でサンクトペテルブルグへ向かう。
近代的な空港。
立派だね。空港を見るとその国のレベルがわかる。
大体の国が立派になったけれど、それでもソロモンの空港は平屋作りのエアコンなし。トイレ半分故障中だったし、パプアニューギニアだってエアコン効きすぎ氷点下のラウンジで震えながら待つことになったり、飛行機に乗るときはタラップで近代的とは言い難い空港だったし。世の中いろいろです。
チャックインを終え、昼食をとったりビールを飲んだりしていると、空港内が少し騒がしくなってきた。
ロシア機が墜落したという。
それも、シナイ半島を出た飛行機がおなじ行き先サンクトペテルブルグを目指していたという。
自分は、飛行機を予約するとその航空会社の飛行機が、出発直前に行方不明や墜落することがよくあるし、コリアンに乗った後には有名なナッツリターン事件もあった。こんな、乗る直前に墜落なんて初めてだった。
もう、絶対テロだと断言していた。シナイ半島は、ISのシナイ州という勢力があり、エジプト軍とISシナイ州が戦闘状態にあった場所だ。それに、ロシアはISへの空爆を開始しており、絶対にテロだと思った。現在の地対空ミサイルは、戦闘機を撃ち落とす為に開発されたものもあり、民間の航空機を撃ち落とすのはスズメを撃ち落とす鉄砲で白鳥を撃つようなものなんだ。
ところが、それでも30分以上遅れて離陸するという。正直怖かった。ロシア内での移動だからとは思っていたけれど、同時多発テロは常態化している。
それでも行くしかなかった。
今回はタラップではなかった。
ロシアは秋休みがあり、子供たちが大勢で賑やかだった。
座席は通路側で景色は一切見えないので写真はこれだけ。
サンクトペテルブルグに着陸すると子供たちを中心に拍手が沸き起こり、この子らも墜落のニュース知っていたんだろうと気づいた。大人が怖いなんて言っていられない。駐機場へ移動中に後ろの女の子が上の荷物棚を開けてしまい、コートが2、3枚、私の上に落ちてきた。「キャアキャア」と女の子同士笑いながら騒いでいた。私の頭から膝の上に落ちたコートを取り、真後ろの子に手渡しと、「sorry」と言ってきたので「its ok」と返した。お?英語しゃべれんの?
駐機場に到着すると、女の子が話しかけてきた。「japanese?」「yes!」なにやら日本のアニメが素晴らしいと話し始めたので、「do you like doraemon?」「no」「ararecyan?」「no」「one piece?」「no」「what?」「naruto!」と返ってきた。
ナルト疾風伝だったか?見たことはないけれど、聞いたことはある。「oh! naruto!」「are you naruto?」「no^^」ってな感じで、ロシアの子供たちとの国際交流を簡単にやって飛行機を降りた。とてもかわいい子供らだった。
「naruto where you from?」と聞くと、やっぱりナルトと呼ばれるのが嬉しいのかキャッキャッと子供同士で盛り上がってから「?????? ????」と返ってきた。都市名を忘れてしまったけれど、地方都市から来た子供達のようで、学校かなにかの集団だったみたい。聞いたことがない街の名前だった。
無事、到着できた。
この子らがロシアの小さな友達。カバン体よりでかいよ。
サンクトペテルブルグの空港。正式名称はプールコヴオ空港。中心地から南へ18キロほどあります。近いよね。交通手段は多種多様にある。
空港には泣いている人や花を手向ける人は見当たらなかったけれど、なんとなく悲しげに見えた。
墜落しなければ同じ空港の隣のターンテーブルで荷物を待っていたかもしれないし、トイレで隣同士になったかもしれないような人々が一瞬で何百人も死んでしまうなんて、悲しすぎます。
空港をあとにして
気を取り直して無駄に広い道路を北へと向かう。
空港から中心部の間には、こんなでっかいショッピングセンターがいくつもあった。この国はもう、豊かになったんだな。
走っている車だってみんな立派だった。ポルシェやベンツ、BMWのディーラーが軒を連ねている。
10年や20年でこんなに変わってしまうんだ。そういえば、日本だって敗戦からオリンピック開催まで19年でしたかな。人間の力も素晴らしいものです。
道路を建設中。
ロータリーがある。ここもなんとか戦勝記念広場なんだよな。だいたい、戦争に勝つと広場が出来るらしいです。
新築中。ロシアへは遊びに来たわけではなくて、不動産を見に来たのですよ。
スターリン時代に出来た建物。
こんなトラムも走っていた。
またまた新築中。
新築の現場はなかなかしっかりしていて、アジアのそれとは全く違うものだった。アメリカよりもしっかりしているんじゃないかな?
鉄道の下をくぐる。
ここの鉄道駅名は、モスクワ駅やフィンランド駅など、行き先方面の名前が付いているものがあり、わかりやすい。
ここにも凱旋門がある。
運河が見えてきた。
改修中の現場が多かった。
モスクワに比べると建物は傷んでいるようにも見えた。
なんといってもここは沼沢地を開発した都市であり、運河を築いて地盤改良し工事していったのはワイキキによく似ている。
建物が傷んでいるように感じたのは、地盤が悪いからじゃないのかな?そんな風に見えた。もちろん、古いんだけど。
この旧市街全てが世界遺産になっている。
モスクワが人口1200万人。ここサンクトペテルブルグは500万人。どちらも大都市です。
サンクトペテルブルグという名前は、何度か名前を変えていて、記憶に新しいのはレニングラードと呼ばれていた時代をご存知でしょうか?それを、ゴルバチョフがサンクトペテルブルグに戻してくれたそうです。元々の名前がサンクトペテルブルグ。ヨーロッパのような街を作ろうと始まった街づくりで、ヨーロッパの名前が付いている。
目的地の一つに到着。地の上の救世主教会。これは純ロシア風教会なんだって。
1881年に皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所の上に建てられています。完成は意外に新しく1907年。110年未満。LAに購入したアパートが築92年だから、あまり変わらないじゃないか??
暗殺された2世の息子、アレクサンドル3世が即位し、父の死を惜しみ建てさせたそうです。
それでも、爆破こそされなかったけれど、ソ連時代には倉庫に格下げとなってしまったらしい。
こんな倉庫なら即買い上げる。
向かいにある建物は見物客もいなかったけど、この門だけでもすごいデザインされた美品じゃないか。
お金かかってるよねー。
グリボエードフ運河の脇に建っています。
また移動して。証券取引所橋の上に差し掛かると、川の下流側、フィンランド湾の方が美しく夕焼けていた。
車を降りて写真を撮る。随分遠くへ来たなーって感じがした。
エルミタージュ美術館。ネヴァ川沿いにある。でかいでしょ?端からあっちまである。
ネヴァ川上流方面。
ペトロパヴロフスク要塞。要塞としては一度も使われず、留置所として利用されたそうです。
どの時代にもどの国にも国家プロジェクトには誤りがあり、税金を大量に投入した無用の長物が出来てしまうものであり、それでも後世には観光施設になってしまうものです。
大体は戦争にまつわるものが多い。万里の長城だって、モンゴルから守るために作られたんだけど、今ではまさに無用の長物。時代の移り変わりは早いものです。自分たちが生きている今の時代なんて、ほんの一瞬なんだ。
橋の中央の方へ歩ってみた。
美術館もでかいけど
この川もでかいよなー。
うっわっ!きれい!!
おみやげ物屋のトイレがきれいで、なかなかでした。色分けしてある鹿は、どっちもオスだよね。勿論黒が男性用WC。赤は女性用WC。
もう一本上流側の橋を戻って夕食に。
夕食。日本語のような名前で日本語ではなく、絵などはチャイナっぽい。
ボルシチはなかなか深みがあり、おいしいスープだった。
ビーフストロガノフは、めちゃくちゃ美味しかったな。
ロシア、食事は今ひとつとの噂を耳にしていたけれど、なかなかやるじゃないか!?
つづく
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