最後に山を登ったのはいつの事だったろうか。
コロナウイルスの蔓延により、「登山を控えるように」とのお達しがあったのは昨年の春。
2月の殆どをアメリカで過ごし、3月4月を忙しく、仕事仕事としている間に、登山自粛令が下命されたわけで。自粛していたんだわ。
で、去年は一度も山に入る事がなかった。
正直「うずうず」しておりまして。行きたいのは山々。
もとい。
行きたいのはやまやま。されどどうしたものかと、いかがしたものかと・・・忙しい旅の日々のせいにしながら自問自答していたのでありました。
ところが先週、東城が参加する会議があり、終了後に
東「先輩もう山登らないんですか??」
す「辞めたつもりはない」
東「でもずいぶん登ってナイすよね〜」
す「んだな。2年くらい行けてないな」
東「じゃあもう無理っすよね〜」
と。
あいつを擁護する会議の後なのに・・・
平気で俺を侮辱するような事を言いやがる。
ざけんじゃね〜〜〜〜!!
おーおーおーおーおー!!
わかった。
俺が山へ行って見せればいいんじゃねえか!?
俺が山のコースタイム以内で戻れたらお前は来月からマグロ漁船に乗りなさい!!!!!(罰ゲームだけど、自分には羨ましい職業なのだ。アイツは船が苦手なので、罰ゲームになるんだけど。それにしても昔で言う4級船舶を持っているのに船酔いするって可笑しすぎるぞ東城!!笑笑笑笑笑笑笑)
てなわけで。
ホームグラウンドであり、大好きな山、伊達市霊山町の霊山に来てみました。
こんなコースタイムになっております。
駐車場が整備され、トイレらしき立派な建物が建っている。
これは後ほどリポートしなければ!!(世界トイレ研究家ですので)
以前からこんな感じだったか・・・
道路の上に枯れて踏みつけられ粉々になったような、葉っぱから土に変わる途中のようなものがアスファルトの上を敷き詰めていた。
こんな立派なショートカットコースは初めてみた。
階段が出来ていた。
以前はこんなもの無かったように思う。
デッカい岩が出てきた。
何事にも動じないようなデッカい石にはパワーを感じます。
曇りで少し晴れ間
こんな手すり(?柵?)とか前は無かったでしょ!?
なんだか頼りないような木々で岩を支えている^^;
鍛治小屋岩とよぶそうです。
そこから階段が始まる。
葛折りの上りが続く。
でも、そんなに斜度が急ではなく登りやすい。
昔の霊山のイメージは・・・
最初に急登が続き、みんなこの辺りで休み休み登るイメージ。
自分は・・・
ぜんーんぜんイケル!^^!
登りきるとタンカンパイプで作った、ちょっと斜めっている梯子が現れた。
こんなの記憶にねぇ〜^^;
13:50だった。
ここまで20分弱で到着〜
ここはなかなか開けている場所であった。
霊山から月舘あたりまでが見える。
岩が突き出ていたので少し先まで行ってみた。
さっきの駐車場や、山の師匠、伊東先生が設計した紅彩館が見えていた。
反対側を振り返り、これから登る山の方を見ていると、絶壁を降りようとしている方々が見えた。
「おーい!!ヤッホー!!」と手を振ってくれたので、こちらも無言で手を振り返した。(こちらと言っても一人だし。仲間は居ない寂しい単独行なのでこのくらいが精一杯です)
見下し岩には団体さんが居たようなので寄らずにスルーした。
前へ進む。
低山の割にはアップダウンがあり楽しい^^
14:12
国士沢
麻雀仲間に「国士番長」ってのが昔いたな^^
奇岩の山霊山。
天狗が相撲をとったような地名、山にはよくあります。
ここには立ち寄らず前進!!
ここで迷う。
左、遠回りの護摩壇を行くか
真っ直ぐ霊山城址を目指すか・・・
まるでトンネルのような右。道が終わっているような左・・・
迷わず230mの霊山城跡を目指す。(近いほう)
途中には水芭蕉が花を落としていたけれど群生していた。
黄色い花。
名前はわからないけどかわいいです。
花を巡るように蝶々が飛び交っていた
こちらが国司館跡だそうです。
名前からすると偉い人が住んでいたんだろうな。
「国士舘」になると怖い人が住んでいそうだけど・・・
天が微笑み青空になった。
ここで14:22
左折すると護摩壇へ行くそうですが、自分は今まで行った事のない東側へのルートをとることにした。
霊山城址到着
なんにもない。
遺跡(碑)あるのみ。
歴史に触れる
トイレマークが案内看板にあったけど・・・
こんな番所みたいな造りのボットントイレがありました。
平成と令和生まれの方々には無理だろうなぁ〜(※注:昭和生まれにも難しいレベルだった。暗くてこわっ!!)
一路、東物見岩方面を目指す
下ったかと思うとまた上りに遭う
稜線を伝って行くのだからアップダウンは当たりまえ。
生きている事と似ていて。
上り詰めたように錯覚していると、いつの間にか坂を転げ落ちていたりするものなんだ。
そうならない為には・・・・・
大変そうでも前へ進むしかない。
東物見岩に到着。
少しのんびりする。
太平洋側を向いていて、集落みたいなのが見えるのは筆浦(ヒッポと読む、丸森町の集落)だと思う。
という事は、右側からなだらかに上がったピークが天明山だと思う。
あの頂上から左側に2、3キロが弊社所有地で、太陽光発電所になっている。
こちら側から見たのは初めてでした。
天気が良くなった^^
出発すると
大きな岩があり
学問岩と呼ぶみたいです
道は狭くなる。
霊山の裏林道らしい、ひっそりとした山相。
入り口を入らず左へ進みます。
今日は蟻の戸渡りは通らない。
無線中継所方面へ前進
道は斜めで歩きづらいけど、こんなのはまだまだ余裕。
飯豊山の下りなんかは、捕まるところもなく、急な下りで斜めになっていて、しかも大雨に遭ったりした事があった。
嫌になるし、めげそうになるし、足の平の皮はズルムケだし。一歩を踏み出すのが痛くて辛くて「あ”ーっ!!」と言いながら下ってきた事があったな。
右へ。
次第に心細くなる登山道。
その途中。木々が開け、天明が良く見えていた。
あの先は太平洋なんだな。
ひたすら前進。
無線基地に着いた。
今では運用されていないようで、廃墟と化していた。
あんな真っ暗な入口から怖くて入れないです。(入っちゃいけないようになってたけど・・・)
こんな古い錆びた橋があったりする。
登山道はますます狭くなり
下りが急になる。
右側はなかなかの崖になっており、落ちないほうが良さそうだった。
その先を見ると、相馬へ向かう高速道路が見えていた。
旧伊達郡の学校に通い、この辺りで同級生らと毎日遊んでいた頃、まさかこんな立派な道路が出来るなんて想像もしていなかった。
石垣が見えてきて・・・
もしや霊山城址に関係する古いものなの!?と、遠い古の時代に思いを馳せながら歩いていた。
昔は広かったのだと思われる道は、獣道のように、登山客が迷わない程度に道が確認できるくらいだった。
その時・・・
旧文部省の礎石が見えた。
ああ。あの電波塔?無線基地?は、文部省の管轄だったのでは??と気付く。
すると、あの立派な石垣も旧文部省の発注で、道路築造時に積んだものなんじゃないの??と、思うようになった。
太古の遺構にしては立派すぎるのよ^^;
また少し降ると・・・
左側に赤い屋根の古い建物が見えてきた。
今は使われていないようで、入れないように鎖が張ってあった。
電波塔で働いていた方々の事務所か宿泊施設のように見えた。
涸れ沢の上に橋が掛かっていた。
先ほど歩いてきた道に合流。
15:10に駐車場到着
天気が良くなっていた。
さっきのトイレへ行ってみた。
めちゃめちゃ綺麗。
充分◎
外へ出ると我を狙う族が居た。
トイレから出たところを何やら刃物を向けて伺っているじゃないか!!
今はアニメにすると、流行りやすいからなぁ〜
いいんじゃないですか^^
夏の少し前、そして梅雨になる前の山行。
曇っていた空はすっかり青空になっていた。
家まで30分。
到着した途端夕立と雷が鳴った。
夏になる前のいい1日を過ごしました。
元々はこんな山旅を描いてばかりいたんだよね。
最近、仕事でお世話になっている二瓶さんにお会いしたら「社長のブログ読みました。空港でアイスコーヒーにウイスキーをドボドボと入れたってのが衝撃で・・・」と言われ、そういえばそんな事ばかり書いて、爽やかな山旅とか書いてないもんなぁ〜と、海より深く反省。
今年はもう少し山と向き合う一年にしたいです。
終わり
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