2018年はとにかく忙しかったです。
タイから戻った週末は厚真町を震源とする地震から僅か1週後の北海道へ。
今回は飛行機で向かった。
千歳空港に到着しレンタカーで豊浦の現場へ。
現場は震度3くらいで被害は無く、何の問題もありませんでした。
その後札幌へ移動。
一日いい天気でね〜
ホテルは最上階の一番良い部屋を押さえて頂いた。夕焼けが綺麗だったな。
食事にススキノへ。
看板は節電のため消えていた。
ギラギラしている街がこの日はとても不思議だった。
今は嘉悦大学で働いている、大学時代の同級生かんちゃんが札幌へ出張している事を知り合流した。
18歳からの付き合いでゼミでも一緒だった。かんちゃんは楽しい男だ。
翌日は清田区へ。
ニュースでの報道以上に酷い状況だった。
家が傾き全壊の認定を受けていた。
早期の復興をお祈りします。
私たちは現場を見て災害のメカニズムを知る為に行ったつもりだけど、その後野次馬が増えてしまい、すぐに域内はクローズとなった。現地の方々からすれば自分も野次馬にしか見えなかっただろう・・・申し訳ない。
新千歳空港のショッピングフロアからレストランフロアへ向かうエスカレーターは止まっていた。
今後こんな光景を見る事がない事を願います。
開店ガラガラ
レストランは本当に閉店ガラガラだった。食事が出来ない。
閑散とした空港は外国人の姿も見当たらなかった。
行きは仙台空港から。帰りは福島空港へ。
ちょっと見づらいと思うけれど、遠くに震源地が広がっていた。
到着するときはほとんど眼下に見えたのだけれど、写真撮影を忘れてしまった。(自称空の写真家失格)
大停電の原因となった苫東厚真火力発電所。
この発電所1ヶ所で北海道全体の半分の電力を賄っていたなんて驚きだった。
松島あたりかな?
福島空港着陸直前、羽根から雲を引いていた。
無事着陸。福島空港からの離発着は多分した事がない。今回が初めてじゃないかなぁ〜??
福島からだと仙台空港の方が便数も多いし、便利なんだよね。
9月18日からの1週間は仙台や県内への出張と来客、打ち合わせが続いた。
26日より福島稲荷神社秋の例大祭へ向け太鼓の練習開始。
約10日間指導を続けた。
今年は子供達がとても上達し、指導を続けてきて良かったと思えた。
今年は6日から3日間の祭りだった。
例年より1週間早いというだけで暑かったなあ〜
先輩らとはもう40年以上のお付き合いです。
そういえば、上浜町の白山神社が新しくなりました。
以前の神社は8年前の地震で傾いてしまい、危険な状態だった。
寄付金を募り、やっと完成した。
毎年恒例、武廣あんちゃんの「オヤジ亭」。毎年あゆ、イワナ、ゼンマイ、山菜などのご馳走が並ぶ。このために春から何度も山に入り、ご馳走となる品々を揃えて準備をしていくあんちゃんを尊敬している。
残念ながら今年で終了するという。それでも長年大変お世話になりました。
昼も天気に恵まれて。
子供達もご機嫌です。
連山車も盛り上がった。
連日オヤジ亭は大盛況だった。
武廣あんちゃんと完全酔っ払い男。
老若男女が集う祭り期間限定の店。
雅美あんちゃんガッつき過ぎです。
もみじマークが涙を誘う^^(笑ってるけど)
同級生の今野功君が写真を撮りに訪ねてきてくれた。
小中学校の同級生、バンド仲間、投資仲間、近所の方々、祭り仲間、飲み仲間と、色々な分野の仲間が他の町に散らばっており、功くんは2中の同級生を探して上浜、豊田、浜田町を歩いていたそうだ。エライ!!
いい夜の祭りだった。
昭和38年築造の山車はいつまで元気なまま活躍してくれるものなのか・・・
美しい彫り物は復元不可能とも言われている。
祭りが終わると、その後は一生懸命仕事をした。
いわき市中央台の銀行融資、仙台へ出張、東京へ出張、目黒の土地売買契約、来客、来客、来客・・・本当に大変ありがたいです。訪問するというのは大変な労力がいるものです。
10月17日から北海道へ。
小樽港に朝の4時に到着。途中の真狩村あたりは気温が1度まで下がっており、北海道の冬はすぐそこまで来ていた。
6時半過ぎには現場に到着してしまうので、以前泊まったウインザーホテルへ寄ってみた。
現場を探すと・・・
豊浦町の発電所を確認する事が出来た。
遠くから見えたので何だか嬉しくなりしばらく眺めていた。(早く着き過ぎてヒマだったのよ^^)
日本電設工業の皆さんに現場を案内してもらう。
建物が完成し、機器が搬入されていた。
まだ完成ではないけれど、2年がかりの工事は間も無く終わろうとしている。
現場を後にして小樽へ戻り、夕方5時の日本海フェリーに乗り翌朝新潟港に着いた。最近多い0泊3日の船旅。(船中2泊)
翌週10月末はこんな立派なベンツに乗せてもらい青森へ。
仲良しの楽しい社長に運転してもらい久しぶりである方を訪ね紹介した。
夜は日本国土開発青森営業所の佐藤所長と遠藤部長と久しぶりに会い、四人で5次会まで行ってしまった^^;
今も昔と変わらず楽しい仲間との夜でした。
青森駅前のダイワロイネットホテルが完成したばかりで。朝食も美味しく、部屋も広いし、室内も静かでなかなかいいんだよな〜
翌週は稲荷神社の丹治宮司のお父様の葬儀があり、招待状が来ており参列してきた。凄い人だった。宮司にも岩見さんにもお会い出来たので良かった。
翌週は昨年書いた三斗小屋温泉への登山があった。今思い出しても寒かったよ(+ +)
11月7日から札幌へ。
今回は電車の旅でした。
ススキノの看板は復活していた。
日本国土開発の佐藤浩哉さんと久しぶりの再会。楽しい時間を過ごせた。
通勤で膝を痛めてしまったようで、少し足を引きずっていた。ゆっくり治してくださいよ^^
札幌にも牛タン屋さんができたらしい。
一度試食してみなければ・・・
仕事を終え、9日の昼に札幌を出発。
特急のグリーン車はガラガラでした。
JR北海道の線路は結構縦揺れが多く、電車に乗っていると腰が痛くなる。電車での札幌往復は危険なので年に2ないし3回しか行けないと思う。
海は大荒れ。
フェリーで来ていたら大変でした。多分欠航していたと思う。
案外、北海道へ出張する時のの乗り物選択は当たるんだよね。
函館北斗駅から札幌へ向かうと2駅目に駒ヶ岳駅があり、このすぐ後ろに北海道の駒ヶ岳がある。
一度登ってみたい山です。
一旦戻り、2日後の月曜日にはもう一度北海道へ。
今度は現場と役所などでお仕事して帰る。札幌へは行かない。
船を降りて豊浦町へ行き、仕事をしてまた夜の船で帰る。
0泊3日旅はこれで何回目だろうか。でかい現場では色々と問題も起きるので、人任せで放っておけない事が多々あります。
式典が終わった後に撮影した式典の看板。
15日には大町のビルの消防点検を受けてからいわき市へ向かった。
いわき市中央台に購入した土地約2300坪に築造するショッピングタウン、着工する事が出来た。
2月に土地を買ってから随分と時間が経ってしまったが、許認可やテナントの募集、契約、銀行融資などを取りまとめていたので、あっという間だった。
天気にも良い土地にも恵まれた。
かんちゃんらと青春時代を過ごした学校があるいわき市中央台の活性化に少しでも力になれたらと思います。
19日は群馬まで日帰りで出張して夜は飲み会で打ち合わせ、20日は仙台、21日は土地の金消契約をしたり、日々はあっという間に過ぎて行く。ヘトヘトだったので、23日、24日は那須の温泉でのんびりさせてもらった。
26日は目黒の土地の残金決済で朝から忙しかった。銀行で振り込みなどをしてから車で関東の売主さんのところへ向かった。
27日からは来客、契約、打ち合わせが続き、30日は仙台泊まり。
翌日12月1日はいよいよ泉ヶ岳あたりに雪雲が発生しており、東北にもしっかりと冬はやってくるのです。
2日の日曜日は日帰りで目黒へ。現場の確認をしてきた。
12月4日から沖縄へ出張。
今回は物件の申し込みと会社の設立、毛利さんのヤギ事業の調査が目的でした。
富士山は雲に隠れていたけれど、その形と裾野のデカさでわかってしまう。
夜は・・・
初めてのヤギの刺身
ヒージャーという、ヤギの内臓の炒め物
もちろん初めてのヤギ汁
なかなか美味しいんだ。
ヤギ飼いとしては心が痛むところなんだよな・・・
ヤギ料理を食べた翌日にヤギを見に行く。
こんなデカいヤギは初めて見た。馬かと思ったよ。
子牛みたいなこの方もヤギで。
デッカくてとても人懐っこい可愛い子でした。
ヤギ牧場の上では嘉手納飛行場への戦闘機が離発着を繰り返したいた。
パイロットの顔が見える距離。
しかもこの牧場には米軍の奥様方が集まり、ヤギと戯れながらヨガをしているという。どんな事になっているのか一度見てみたいものであるが全く想像がつかない。
ヤギ飼いがヤギ食いになったからか、脇腹の奥がキリキリと痛むようになった。多分ヤギの祟りだろう・・・(謎)
7日の金曜日に沖縄より戻り、地元で仕事を続け、
11日より再度北海道へ。
今回は豊浦と札幌に用事があり、仙台港からフェリーに乗った。
苫小牧に上陸した時には大した雪はなかったけれど、白老辺りから吹雪になる、
ジムニーで来ていて良かった〜
夕方6時過ぎに豊浦での仕事が終わり札幌へ向う道はすっかり雪が積もっていた。
スタットレスはジムニーだけ履いていたので今回はジムオ君と旅する事になった。
雪質が良いからなのか、タイヤが良いのか車が良いのか、ほとんど滑る事も無く札幌へ無事連れて行ってくれた。
翌日は札幌の郊外へ。屋外で色々と実験の立会いをした。
もちろん気温が氷点下で、風邪をひいてしまったようだ。喉が痛くて咳が出る。
14日に小樽でフェリーに乗る前に打ち合わせの為に余市へ足を伸ばしたけれど、札幌から吹雪になり、小樽から余市に入る頃にはホワイトアウトになっていた。
5時のフェリーで新潟港へ翌朝土曜に到着した。
日曜は風邪を治そうとのんびり過ごし、
月曜はシンジケートローンの打ち合わせ後東京へ。
久しぶりに浅草に泊まった。顧問の佐藤さんと浅草の寿司屋で飲み、打ち合わせをした。安くて美味しい家族経営の寿司屋さんで、浅草ビューホテルの脇にある。下町はいい。
翌朝も天気が良くて
富士山も綺麗に見えていた。
浅草から立川へ移動するが、電車で1時間以上掛かる。東京の東と西だから結構遠いんだ。
そして東京は暖かい。
立川から戻ると福島は寒い。夜は飲み会だった。
19日はずっと打ち合わせ。
20日は埼玉と大宮へ日帰り出張。
22日から再度沖縄へ。
前回の出張で申し込みをしたこのマンションと、他に投資用の土地を購入する契約をしてきた。
高台にあるので景色がいい。(以前台風で帰れなくなった時に三浦さんが泊めてくれたマンションを購入することになったのです)
マンションに2泊したんだけど、
二日目の夜にベランダから夜景を見ていたら
長ーい船が横切って行った。
絶対にアメリカの空母か何かでっかい船が闇に紛れて出航したのだと思う。
少し撮影が遅れたのであっち側に方向を転換しているけれど、手前の橋と同じくらいの長さに見えたんだわ。
24日に戻り、通常ならクリスマスから休みに入っているのに28日まで休めなかった。
28日はいつもの忘年会にお呼ばれ、楽しいひと時を過ごし、飯坂温泉に泊まり。
翌日には秋田へ向かう。
旅の日記が前後してしまっておりますが、秋から年末もこのように多忙な日々で、あっという間に過ぎてしまった。
それでも、金融機関は全行(現在は10行と取引)積極的に融資していただけるので、大変ありがたく思っています。
企業は儲けても、税金や社会保険、予定納税などを払うとそんなにお金は残りません。日本の税法では儲かっているようで儲からない仕組みになっているのです。
多くの資金を融資して貰えるか否かで会社の成長が決まる。
これからも魅力ある投資案件を創り、各金融機関とwin winの関係を保ち続けられるよう努力していきたいと思う。
今年の1月はすでに飛び回っていました。3月くらいまでいくつか予定が埋まってきています。
また折に触れ日々の活動をUPして行きますのでよろしくお願いします。
おわり
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