1日の木曜日に仙台で毛利さんと会い、「今年の登山はもう無理??」と聞かれ
「3日から三斗小屋温泉へ行くんだよね」
なんて会話をするくらい、今年はほとんど山に登れなかった。
嫌いになったわけでは無いんだけど、忙しすぎたし、週末を絡めた出張も多く、そんな日には必ず遊山会の山行があったものだから、浩哉さんの送別会を最後に、仙台の山仲間とも会えていなかった。
福島に作った「尾瀬会議」と言う名前の山の会、最近は尾瀬に行き過ぎて違う山を所望されるようになり、今回は参加できなかったメンバーの高橋さんからの意見で三斗小屋温泉へ行くことになっていた。(言い出しっぺが参加できないという大惨事^^)
それにしても、11月に入ってからの2000m級の山へ登る計画は雪のリスクを伴い無謀と思われるものであったけれど、例年に無いくらい暖かで穏やかな2日間となった。
9:30に到着したのに、那須のロープウエイ乗り場周辺の駐車場はいっぱいになっており、その上にある県営駐車場もギリギリ最後の1台分の空きスペースに何とか停める事が出来た。
これで最後です。もうムリ
停められない
丹治さんが乗っているようなクラウンのバン。
やはり、共通のオシャレ感があります。
朝のうちは寒かったんだけど、駐車場に到着した頃には暑くなっていたのでジャンバーを置いて行く事にした。
今回は私を含め4名での登山。
ロープウエイを降りてから左に巻くコースを行こうと思っていたんだけど、ここまで来たら最初から歩いて登る方が早い。
Do not ride on the Ropeway
登山道の鳥居をくぐる。
すぐに岩を祀った山の神様に出逢う。
挨拶してから歩きはじめた。
最初はこんな階段が続きます。
霜がおりていた。
中間点を過ぎると
階段が終わり、広くて緩やかな登山道になる。
快晴の美しい空
ズームにしてみた。
赤い屋根の小屋を目指す
いい天気だわ。
振り返るとメンバーが遅れはじめていた。
自分はずっと歩き続けるのが苦手で、歩いて少し休んでの繰り返しの方が遠く、高いところへ行ける。
普通に撮影すればまだ遠く見える。
朝日岳へ登る登山道には人が歩いているところが見えた。
朝日岳の頂上
なるほど
なるほど
頑張って登りましょう
小屋が近づくと雪が残っていた。
あと少し!
峰の茶屋に到着〜
茶臼の頂上が近い。
相変わらず噴煙が上がっている。
麓には硫黄の鉱山があり、ここから運んでいたそうです。
遠く西の方には雪山が見えた。
今回は頂上を登らない登山。
南へ向かい稜線を歩く。
どうも方角と山の形から考えると、この雪山の左が三池あたりで、そこから右へ続く会津駒ヶ岳、(頂上はボコンとなっている)、また右奥に中門岳らしい山が見える。
雪山の左側にある独立峰はどう見ても東北最高峰、燧ヶ岳でしょう。
さすがに稜線は風が吹いて寒いのでタオルをクビに巻いた。
橋を渡ると
硫黄の黄色い山肌
昨年の佐渡ヶ島登山で、靴の中までガッポガポに水が入り、靴が廃車になった為、同じ靴を新調していた。
新しい靴で初雪を踏みしめる。最初からスパルタ教育が行われる。
いやー、こんなに良い天気は久しぶりです。
噴煙が大きい場所に差し掛かる。
ゴーッて音がするんだよね。
噴煙を左に見ながら、茶臼岳の裏側(西側)を歩く。
新幹線から見える茶臼岳(よく那須岳とも言われます)の裏側を白河側から東京方面へ歩いている。
あの奥の谷間に目的地の三斗小屋温泉がある。
姥ゲ坂より姥ゲ平へ降る。
せっかく登ったのに・・・
遠くには飯豊連峰が雪を被って見えていた。
なるほど
なるほど
なるほど
なるほど
姥ゲ平に到着。
振り返るとデッカい茶臼岳が見えるのだけれど、今見えているのは明治時代に爆発した残りの部分だと良く分かる。
再度爆発すれば、こちら側に噴石などが飛んでくるのだろう。
途中のひょうたん池に寄る
鎌田さんによると最高の写真が撮れる場所だと言う。
確かに、ここは茶臼の撮影ポイントで有名である。
登山道とひょうたん池を往復する橋が意外に高くてちょっと怖い^^;
登山道に戻り温泉を目指す。
アップダウンを繰り返す。
一気に下る。
落ち葉の道を進む。
沢が見えて来て
それを超えるんだけど、佐藤さんは普通の運動靴でいつも登っている為、沢を超えるときが大変な作業になる。
防水ゼロ
靴底はすり減っているけれど、履きやすいんだって。
今度は橋の掛かる少し大きめの沢にぶつかった。
橋を渡ると急な上りになる。
荷物が肩に食い込み、腰と背中が痛くなる。
4人しか居ないのに、ワインを9リットルも背負って来てしまった。
リュックの重さは25キロを超えている。
前回三斗小屋温泉に泊まった時は、テント泊の若い子らと大宴会になってしまい、またあのような事が起これば足りなくなるのでは??などと考えて多めに背負って来た。
今度は沢から急な上りが延々と続き、終わりがないように思われた。
写真からは、寂しい冬の気配しか伝わってこないように思えたので、
ちょっとカメラの設定を変えてみた。
色の濃淡がハッキリしたでしょ??
この登山道は逆ルートしか歩いた事が無い。こんなに急だとは思っていなかった。
いよいよ分岐点に到着。
もうあと少し。
11キロじゃなくて1.1キロですよ。
誰かイタズラして消したんじゃねえか!?
落ち葉の敷き詰められた登山道。
以前は宿が5軒もあったなんて知らなかった。
この道は、江戸時代の宇都宮から会津若松を目指す最短コース(街道)で、多くの人々がここを歩いていたんだ。
昔の人は大したものです。
登山靴も無いのに、わらじなどで歩いていたんだから・・・
それに、翌朝の風呂で聞いたんだけれど、ここも修験者の山だそうです。
朝日、茶臼(月山と呼ばれるそうです)、南月山。これで三山なのだそうだ。
すれ違った人に「どちらまで?」と聞くと「南月山」という言葉が返って来て、何を言ってるんだろ??と不思議に思っていた謎が解けた。
最近は地図を持ち歩かないので、山の名前を調べる事が出来ない。
小屋が見えてきた。
このテントと建物の間にテーブルを広げてみんなで飲んだんだ。
ところでもう11月だってのに・・・テント寒いでしょ!?
前回泊まった部屋。
こちらは煙草屋という宿。
自分たちは今回大黒屋の方へ泊まる。
宿に到着。
入り口を入るとコタツがあった。
部屋に通される。
2階の部屋で暖房は何も無かった。
障子と雨戸で外気を遮る。(全く遮れなかった)
風呂に入り、4時頃から飲み始めた。
寒い。
晩ご飯。ちっさい鮭のフライと、うっすいビーフシチューがおかず。
ちっさいので醤油をじゃんじゃんかけて食べる。
御膳で部屋まで運んでもらえます。ワインを飲みながら晩ご飯を食べた。
ご飯を食べてからはとにかく寒くて、こんな格好で飲んでいました。
9時、消灯になり諦めて眠った。
翌朝。
まるで江戸時代のような光景。
寒くて霜が降りている。
今日も天気がいい。
女性2人がテントを片付けており、寒かったと言っていた。
昨日、すれ違ったお二人だった。
宿の中も、外と変わらなかったと思う。
さっむっ!!
昨日のテント場では女性が二人でテントをたたんでいて、「えっ!?テントに泊まったんですか!?」と言うと「ハーイ^^」「寒かった〜!!」と言っていた。そりゃあそうでしょ!!こちらは山小屋でも寒かったんだから^^;
途中の橋は凍っていた。
随分長い山崩れ。
太陽が出てきた。
テントの女性たちは片付けも歩くのも早く、追いつかれては追い越しての繰り返しで歩いていた。
東京から来たそうだ。
なるほどなるほど
それで登山道が広くて歩きやすいワケなんだ。
凍てついた橋はちょっと滑った。
以前佐藤さんはこの橋から釣りをしていた。
釣りをした沢では1匹も釣れなかった。
ポイントは沢山あるんだけど。
避難小屋を過ぎて急坂が続き硬度を稼ぐ。
景色が良いので一休み。
今日も会津駒ケ岳(多分)が美しかった。
影も写っていますが
なるほど
あと少しで稜線に出る。
あとほんの少し。
急な斜面。
あと少し。
あと少し。
みんな頑張っていた。
自分は足がとても軽くてひょいひょいと歩けた。
荷物が5キロ軽くなったからなのか、登山足に戻ったからなのか。
それとも自分のペースで登れたからなのか。
稜線に到着。お疲れ様でした!!
ここからは30分下るだけ。
テント泊の女性らが休んでいたので再会することが出来た。
これから茶臼の頂上を登り、それから下山するそうだ。
バスで降りて、新幹線で東京へ帰るという。東京の方はタフだよなー。
「ステーキ食べたから帰るんです」と言うので、「那須は東京並みだよ。7000円とかしたと思う」と言うと、「私たち宿泊代が2000円でしたから大丈夫です」と言う。
確かに。自分たちは9500円支払ったのだから、7000円は軽いもんだわ^^
「写真はブログに載せるからね」と断っておいた。
名前も聞かなかったけれど、またどこかの山で出会えたらいいですね。
朝日には今日も人々が大勢登っていた。
自分たちは下山。
楽しかったから頂上は行かなくてもいい。
渡辺さんは膝を痛めていたし、鎌田さんも朝ビールを飲まなかったせいか少し疲れているようだった。
素晴らしい天気。
山はこうでなくちゃ!^^!
昨日撮ったかな??
なるほどなるほど
楽勝鎖場を過ぎて
中間地点を過ぎ
駐車場が見えて来た。
山の神様へ御礼を述べて
狛犬さんへ別れを告げ
駐車場に到着。
お疲れ様でした。
今日もめちゃ混みでした。
下山して、涼しいので風呂は入らなくていいと言う事になり、飢えていた4名は白河ラーメンを食べに。
今回は英(ハナブサ)さんへ久しぶりで行ってきた。
白河は醤油とも言うけれど、自分は白河ラーメンの味噌味が好きで、特にここ英の味噌タンメンが奥深い味わいなのであります。
怪我もなく、天気に恵まれ、登山足を取り戻す事が出来た快適で楽しい山行でした。
今年はあと何回登れるのか。
死ぬまでにあと何回登るのだろうと、そんな事を考えさせられる晩秋の登山でありました。
終わり
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